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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■政治を笑えば政治に利用されるということ/映画『チーム★アメリカ ワールドポリス』
台形の同じ形の部屋が八つ組み合わさって、二重の部屋を作っているというややこしい構造は何のためか、というのは後で一応、そのわけが説明されるのだが、物理的原因は解き明かされても心理的原因まで作者は解説しようとはしない。そのあたりの観客を突き放した印象は、そのトリックの類似性とも相俟って、森博嗣の某小説を想起させるが、この劇にはミステリ風味はあっても本格ミステリを目指しているわけではないから、謎がやたら残るのは、それはそれで構いはしない。登場人物たちが「穴の謎」に振り回されるおかげで、男女の営みにすら一切頓着しないのも芝居を見ている間はさほど気にならず、一応納得できる流れにはなっているからである。
しかし冷静に考えてみれば、誰かを閉じ込める目的であるわけでもない研究施設に交通手段がヘリコプター以外にないというのもおかしいし、そもそもこの四人が、調査団が引き返したのに自分たちだけ降り立ったというのも理由がよく分からないのである。普通、一緒に帰るって。やはり最初の時点で「穴の毒気」にやられてでもいたものか。
即ち、この物語もまたリアルな現実劇ではなく、連綿と続く“何者かを待ち続ける”ベケットの『ゴドーを待ちながら』の末裔である不条理劇・抽象としての物語であるのだ。彼らは調査団の再来を待っている。怪我をして失神しているガルガル人の意識が回復するのを待っている。しかし、「調査団」は本当に存在しているのか? それは彼らの証言で語られているだけである。先述した通り、彼らがこの地に降り立ったこと自体、不自然なのだ。
しかも、ギャグのように語られはするが、彼らはこの穴に降りて以来、本来の職種をいっかなまっとうできていない。通訳は本当にガルガル語を話せるのかどうか怪しげである。ライターは全くレポートを書こうとしない。カメラマンはろくな写真が撮れない。医者はまともな治療ができない。「穴」という特殊空間にいるために、それはいたしかたのない緊急事態として説明がされるが、そもそも彼らは本当に通訳で、ライターで、カメラマンで、医者なのだろうか? 疑い出せばキリがないくらいで、そもそも本当に「ガルガル」なんて国が実在しているのだろうか?(いや、架空なんだけど)。
意識不明のままの「ガルガル人の学者」は本当に存在しているのか? 「演劇」が「見立て」によって成立する芸術である性格上、その学者はあたかも「そこにいるように見立てられて」演じられているのだが、もしかすると「彼」は「本当にいない」のではないか? 「彼」の正体は最後になってようやく明かされるのだが、たいていの観客は意味が分からずに困惑すると思う。もちろん意味なんて分からなくても構わないのだが、この芝居がまたしても「ゴドーの末裔」であることに気がつけば、その「意味不明」こそが作者の意図したことであることに思いが至るはずなのである。
これは演劇関係者であるならば基本中の基本として知っていなければならないことであるが、『ゴドー』の本質は、ゴドーの正体が誰であるかということよりも、そのゴドーを待ち続けるウラジミールとエストラゴンの二人もまた「正体不明」であることにあるということだ。
「人間とは何か?」「自分とは誰か?」そんな「答えが出るはずもない疑問」を持たされていることがまさしく人間存在の悲劇であり喜劇なのである。我々観客は彼ら五人の右往左往を笑ってなどいられない。彼らが狂気の徒であるならば我々もまた「この芝居を見る以前から」狂っている。我々は生まれついての狂人なのだ。その人間の本質を突きつけているのがこの芝居の最も恐ろしい、「ホラー」としての要素なのである。
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07月31日(日)
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