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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■いつものことだけど/映画『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』
細かい設定のミスや矛盾を指摘する声は大きいだろうが、これは“一度完結したものを無理やりシリーズ化した”『宇宙戦艦ヤマト』と同じパターンである(あるいは「人気があるから連載をやめさせてもらえない『ジャンプマンガ』の法則」といった方が分かりやすいか)。ヤマトは、地球が危機に陥るたびに人類唯一の希望を担って「特攻」していった。ディテールは違えども、どのエピソードも基本的には同じ構造である。そして、今回の『鋼の錬金術師』劇場版も、まるでデジャ・ブを見ているかのようにテレビシリーズをなぞるだけの物語がだらだらと続くのだ。
テレビシリーズは、まず「鋼の錬金術師」として活躍するエドとアルの「水戸黄門漫遊記」を描く「現在」から始まって、途中から彼らの「原点」たる旅の始まりの「過去」に遡った。そしてその過去が現在に辿りつき、二人はホムンクルスたちとの戦いを経て人体錬成の謎を解き明かし、最後の「別れ」に至るという展開を辿っている。
劇場版はまずエドの口から「錬金術世界」にいたころの「過去」が語られ、「現実世界」で生活する「現在」が描かれ、「錬金術世界」を「シャンバラ」と見なすトゥーレ協会によって、二つの世界がシンクロする。そして協会との戦いを経て、また新たな「別れ」が描かれる。個々の要素は違えど、テレビシリーズと劇場版は、その物語構成が全く同じなのだ。これでは「手抜き」と非難されても仕方がないのではないか?
いや、物語構造が同じだからと言って、それだけが原因でこの映画がつまらなくなっているわけではない。積み重ねられるディテールがことごとく安易で、かつ連関性がなく、少しもドラマを盛り上げていかないのである。
冒頭、エドはノーアという接触テレパス(懐かしの筒井康隆『七瀬ふたたび』を連想された方もいらっしゃるか)を助ける。彼女はその特殊能力ゆえにトゥーレ協会に追われていたのだ。となればこの少女が本作のヒロインとして、後半、さぞや重要な役割を果たしてくれるだろうと、普通は考える。ところがこいつが全然活躍しやがらねえんだな。錬金術世界に行きたがっていたのをエドに置いてきぼりを食らうという役回りは演じるが、物語の本筋ではない。いったい何のために登場させたのかわからないのだ。まさか沢井美優に声をアテさせるためだけに出したのか。
「キング・ブラッドレイ」を発見したエドは、血相を変えて彼を追跡する。しかしパラレルワールドという世界観においては、同じ人物であっても別の役回りを演じることはよくあることである。彼は実は映画監督の「フリッツ・ラング」であった。その正体には驚くが、こいつがまだ出てきただけで、物語にやっぱりたいして絡んでこないのである。まあ、この事件をきっかけに映画『メトロポリス』を作ったのだと暗示したいのかもしれないが、粋な描き方だとは言いがたい。
粋でないと言えば、マース・ヒューズの復活もそうだ。錬金術世界では死んでいても、現実世界で生きているというのはありえることだが、だからと言って、それはあのヒューズ准将とは全くの別人なのである。こういう形でヒューズが蘇ったからと言って、喜ぶファンがいると思っているのだろうか(いるかもしれないから情けないのだが)。
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07月24日(日)
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