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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■おお・それ・みよ!/映画『機動戦士Zガンダム A New Translation 星を継ぐ者』
 我々観客は映画をただ漫然と見ているだけなわけではなくて、「この先、このキャラクターはどう動くのか」、その「動線」を予測しつつ見ている。例えばそれは視線の動きも含めてそうで、あるキャラが右を向いたとき、その相手は当然左に位置していなければならないわけで、それは、映像演出の基本中の基本である。テレビサイズの演出と映画サイズの演出では、その「動線」の作り方が違うのだが、最後のバトルシーンを全て新作画にしなければならなかったのは、まさしくこの「動線」の処理のためである。単純に上下の絵を切って、横広にすればいいわけではないのだ。『逆シャア』などはそれをテレビサイズ感覚でやってしまったために、動線が見えず、誰がどう戦っているのかよく分からなくなっていたカットも多かった。それが今回のバトルシーンでは殆ど見られないのである。
 二者の対決だと動線は比較的作りやすいのだが、三者以上になるとなかなかに至難のわざとなる。「シャアの乱入」と言う、そのカットだけは「わざと」動線を無視するが、それ以外、本作では全てこの動線がきちっと計算されているのだ。ロボットアニメの歴史上、これだけ複雑な空中戦を観客を混乱させずに見せてくれた例を私はすぐに思い出すことができない。『マクロス』の「板野サーカス」だって、カメラが追いかけているのは実はバルキリー一機だけだったりするのだ。このラスとバトルの美しさを見るだけでも、本作を見る価値は充分にある。
 でもって、最後はアムロとシャアの再会でパート2に続くのだが、この空中シーンでの夕陽に輝く二人のきらめきぶりは、富野演出初の「萌え」シーンと呼んでいい。空中で殆ど言葉も交わさず見つめあっているだけなのに、二人には確かに心の交流が存在しているのだ。それは第三者であるカミーユを二人の再会の「目撃者」として配置し、「ただならぬもの」として認知させることで「萌え」感覚を観客にも誘導しているのだ。何ちゅー演出をあのトシでなされるかね。「なんか巷では『ガンダム』の名を騙った萌えアニメが幅を利かせてるらしいな。でも俺に「萌えアニメ」を作らせたらこうだぞ!」と叫ぶ御大の雄叫びが聞こえてきそうである。もう刻(とき)が見えちゃってますって(笑)。
 ……しかしオタクも変わったねえ、というのは、字幕が流れだした途端に立ち上がる客がかなりいたことだ。字幕を見ないオタクがオタクと言えるか! それに『U』の予告編だってちゃんと流れたんだぞ! サブタイトルが「恋人たち」だと!? もう御大、どこまででも行くつもりだぞ!! やっぱ若いやつに『Z』は渡せんよなあ。
 というわけですんで、今んとこ劇場アニメでは今年No.1な本作をアニメファンならぜひとも見ましょう。で、薄いウンチクを劇場でくっちゃべるな。

05月28日(土)
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