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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ネットに一杯のオカマ/『竹熊漫談 ゴルゴ13はいつ終わるのか?』(竹熊健太郎)
 それよりも、後半の「自分のハナシ」や「オタクのハナシ」のほうが格段に面白い。70年代、80年代のオタク創世記に青春を過ごしてきた人間は数多いが、彼らがみな一様に『ヤマト』にはまり、『ガンダム』にハマッていたわけではない。アニメが好きでも『ヤマト』を見ていなければ、『ガンダム』に燃えていなければオタクにあらず、アニメブームの本質も見えていないようなモノイイをする人は多いが、果たしてそんなに簡単に言ってしまっていいものかどうか。確かに当時の『アニメージュ』の表紙を飾っていたのは『ヤマト』『ガンダム』が圧倒的に多かったのだが、この両作が視聴率的には惨敗していたのは周知の事実である。
 竹熊さんは、“『ガンダム』にハマらなかった”オタクである。私生活でアニメにはまれる状態でなかったことも原因ではあるが、大塚康生ファンである立場からなら、たとえ『ガンダム』を見る余裕があったとしても、とても本気でハマれはしなかったろう。しかしそれが結果的に竹熊さんのアニメを見る視点を客観的かつ分析的なものにした。
 「素直にアニメを楽しむ人たち=オタク顕教」
 「アニメを政治的に擁護する人たち=オタク密教」
 という分析は、一見単純で、そんなに簡単に人を二分化して見ちゃっていいものかどうか、という疑問も抱かせるものなのだが、実際にアニメオタクの連中をナマで見ていると、この図式にピタッと納まっちゃうやつが多いのである。例えば『アルプスの少女ハイジ』を見ていたやつは「オタク顕教徒」で、裏の『ヤマト』を見てたやつは明らかに「オタク密教徒」だろう。作品の完成度という点で見るならば、『ヤマト』には「ほころび」がありすぎる。素直にアニメを見るなら、『ハイジ』に軍配が上がったのは当然の結果なのだが、それでも『ヤマト』を支持する「運動」が、現在のオタクシーンの母体を作ったのだ。
 では、「ハイジ」ファンだった人たちはオタクではないのか。そんなことはない。顕教と密教のどちらが本道か、などという論議は不毛である。その両輪があってこそ、アニメの総体は語ることが可能なのだ。『ヤマト』『ガンダム』と続くアニメのエポックとなった作品のいかにも「密教」な流れがアニメブームを牽引してきた事実を竹熊さんも否定してはいない。しかし、「アニメ密教」の人々が、アニメを「裏読み」ばかりし、しかもそれが「ドグマ」(独断・教義)に陥ってしまいがちであること、これは通ぶったオタクが自戒の念をもって認識すべきことではないだろうか。すなわち、面白いものを面白い、つまんないものをつまんないと密教オタクは素直に言えなくなってしまっているのである。
 考えてみたら、私も『ヤマト』『ガンダム』にそれほどハマらず、密教オタクが毛嫌いした『エヴァ』にはハマッたという点で、竹熊さんと共通している部分がある。言っちゃなんだが、「アニメと特撮」だけを見て、それで全てを語れる気になっている密教オタクとは、会話していてもその視野の狭さに閉口させられることが多いのだ(これは私の視野が広いと言いたいわけではなくて、相手の視野が非常識なくらいに狭すぎるのである)。言い古された言葉ではあるが、オタクはやっぱりほかのメディアに触れるなり日常を大切にするなり、そういうアタリマエなことを心がけたほうがいいと思うよ。

05月18日(水)
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