ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491661hit]

■今日もまた石野眞子/『おねがい☆ティーチャー』1〜8話
 石野真子の余韻に浸りつつ一日を過ごす(笑)。
 いや、別に意図してそうしてるわけじゃなくて、頭の中で自然と「石野真子メドレー」が流れて来ちゃうのよ。『デカレンジャー』のスワン役くらいでしか石野真子を知らない若い世代には、何でそんなに石野真子が、と思われるかもしれないけれども、70年代半ばの山口百恵・桜田淳子・森昌子の「花の○○(←「中二」から「高三」まで学年が入る)トリオ」の時代から、80年代には入り、松田聖子・中森明菜を中心に、アイドル全盛時代を迎えるちょうど間隙にあたる時期に、石野真子は殆ど唯一と言ってもいいくらい、青少年の人気を集めていたのだ。
 ここが大事なとこなのだが、まだ当時「オタク」という言葉はなかったが、オタク的傾向の強いやつほど、石野真子にハマッていたのである。ライバル視されていた大場久美子は歌がダメでどっちかと言うとドラマ『コメットさん』人気の方が高かったが、それも子供が中心でだったし、榊原郁恵はヒット曲では石野真子に拮抗していたが、より大衆的で、バラドル的な売られ方をされていた。その点、石野真子は、単に可愛かっただけではなく、高橋三千綱原作の『九月の空』という正統派アイドルとしての主演映画もあったし(滅多にテレビでも再放送されないんだよなあ。日本映画専門チャンネルにリクエストしたろか)、何より繰り出す曲の数々が今聞いても何じゃこりゃあ? と言いたくなるくらいマトモではなかった。
 「のんのんののー、のんのんののー、のんのんののー、のんのんののー、今日はー、わたーしのー、失ー恋記念日ーですー♪」って、『失恋記念日』の歌い出しなんか、今でも何を言っているのか全然意味が分からない。最初聞いたときには何をウワゴト言い出したのだ石野真子は、と目の前がクラクラしたものだった。昨日歌ってくれた『ハートで勝負』も、サビの部分は「フラッシュ! まぶしいあなたならー、私をーどうぞー、ご自由にー」である。お前の彼氏はハゲか。でもって自由にしてって言ってても石野真子はきっと自分が自由勝手気ままにふるまうに決まっているのだ。ともかく石野真子くらい現実味というものから遠いキャラはかつてなかったし、カラオケで男が石野真子の歌を歌うと、これはもう気が狂ってるようにしか聞こえないのである。
 デビュー曲『狼なんかこわくない』のタイトルはもちろんディズニーのパクリであるが、この時点で石野真子の「ファンタジー」なキャラクターであることに注目していたプロダクションは慧眼だったと言えるだろう。そう、なぜ石野真子がオタク的青少年に人気があったか、彼女は当時の「リアル二次元キャラ」であったのだ。
 「石野真子はいい!」という台詞は、70年代末期、絶大な人気を誇っていたギャグマンガ、江口寿史の『すすめ!! パイレーツ』で使われてたギャグである。そして、彼のマンガには、石野真子を模したキャラクターが「あはははははは!」と、あの脳天から突き抜けるようなけたたましい笑い声とともにしばしば登場した。江口寿史はリアル二次元キャラを自作のマンガの中に「逆輸入」してキャラとして立たせることが絶妙にうまく、それだけ石野真子がもともとマンガチックだったと言えるのである(薬師丸ひろ子をとんでもない悪辣なキャラに仕立てたときにはのけぞっちまった)。
 考えてみれば昔から私は普通にかわいかったり美人なだけのアイドルには興味を惹かれなくて、何か一つでも現実との「違和感」のあるキャラクターに魅力を感じていたようだ。もちろんリアルな演技をする女優さんの価値を認めないわけではないのだが、オタクというものは大なり小なり現実との「違和感」の中で自分自身の居場所を見つけられずに右往左往しているものである。どこか現実になじめない、SFチックと言ってもいいようなキャラクターに共感を覚えるのは、悪く言えば現実逃避ということになるんだろうけれども、まあ、コンサート追っかけて学校や仕事サボるほどのことまではしなかったし、日常に支障は来たしてないと思うから(多分)、いいんじゃないですか(自分で自分を勝手に許すな)。

[5]続きを読む

05月17日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る