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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■安達祐実は30代を演じる夢を見るのか?/『原作完全版 魔法使いサリー』(横山光輝)
 考えてみたら、これまでの十二作、多少の出来不出来はあっても全て秀作・佳作・傑作ぞろいだったというのが奇跡だったのである。監督代われとまでは言わないから、世間の不評も考えて、ムトウユージ監督には来年は「映画」を作ってもらいたい。観客は「紙芝居」が見たいわけじゃないのだ。


 手塚治虫原作『ブラック・ジャックマガジン』(秋田書店)。
 17人のマンガ家さんに『ブラック・ジャック』を描かせるという試み。まあ、秋田書店でしかこの企画を立てられないのは分かるけれど、小学館の『PLUTO』を見ているだけに、秋田が抱えるマンガ家さんの「層の薄さ」が、そのままマンガの出来に反映していて、読んでていささか辛い。
 リメイクがオリジナルを越えるためには、そこに何か新しい視点を持つ必然性が生じるのだが、なんかどのマンガ家さんも「物まね大行進」の域を超えてなくて、到底オリジナルの感動を伝える作品として昇華されていないのである。マンガ家として旬は過ぎてしまっている永井豪、青池保子両御大の作品はもう「悲惨」以外の何物でもない。誰も永井豪の絵柄で描かれたサファイアなんか見たいと思っちゃいないだろうし、ブラック・ジャックに少佐や伯爵と競演してほしいとも望んではいないと思う。サービスと独りよがりを混同してないか。『魔王神ガロン』のときも思ったことだが、こういうのはもう、珍品としての価値しか見出せない。
 それでもこの企画が途絶えもせずに続いているのは、やはり秋田書店だからだろう。集英社でジャンプのマンガ家さんに描かせてたら、アンケート最下位続きであっという間に企画そのものが暗礁に乗り上げるに違いない。それでも尾田栄一郎や小畑健、秋本治、許斐剛、和月伸宏、冨樫義博といった人たちが手塚マンガを原作に描いたら……と夢想したほうがよっぽど面白く思えるのは、それだけ秋田書店のマンガ誌が凋落してるってことなんである。『少年チャンピオン』購読者には悪いが、『がきデカ』連載当事の『チャンピオン』の勢いったら、もう現在の比じゃなかったんだからねえ。
 それにしても、水島新司が描いてないのは、さすがにこれは……と判断されたのかどうか。私ゃ秋田で『ブラック・ジャック』を本気で描かせるのなら、水島さんに如く人はいないと思うんだが。


 マンガ、横山光輝『原作完全版 魔法使いサリー』(講談社)。
 虫プロから発行されてた一巻本は昔読んでいたので、原作が意外と短いことや(作者が多忙で途中で打ち切ったのである)、よっちゃん、スミレちゃんのキャラデザインがアニメとかなり違うこと(よっちゃんはかなり美人。スミレちゃんもヘアスタイルがまるで違う)、トンチンカンは一話しか登場せず(アニメに登場したのが先で、原作がそれに合わせたため)、ポロンちゃんは全く登場しない(原作がアニメより先に終了したため)など、異動を取り上げていくとキリがない。
 だからこそ原作を楽しむ余地があるわけで、これまで二度もアニメ化されている横山光輝一方の代表作であるにもかかわらず、原作が完全な形で発行されてこなかったというのは、何か事情があったのだろうか。今時の速いテンポのマンガと違って、のんびりした印象のマンガなので、売れない、と判断されたのかもしれないが。
 今回初収録の『魔術師ジョー』と『さよならサリー』の二話が、なぜ以前の単行本ではカットされたのか、そのあたりの事情も定かではない。ページ合わせのためだとしても、他の短編と合わせて一巻にする手もあるし、この二話が選ばれた基準も今はもう分からない。
 推測でモノを言うしかないが、『魔術師ジョー』はアル中になった往年の名マジシャンを、サリーが“魔法を殆ど使わずに”治す話であり、サリーはホントにジョーを一室に閉じ込めるのである。当事の少女マンガの中で考えれば結構ハードな展開で、単行本化が敬遠されたのはこのあたりの事情があるのではなかろうか。アニメでもポロンが実は人間の捨て子だったエピソードなど、かなりハードな話は多かったから、気にすることはないと思うのだが。

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04月26日(火)
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