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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■愛知万博開幕/映画『カナリア』
「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」自体は殆ど描写されない。塩田明彦監督の意図は、教団崩壊後も未だに「ニルヴァーナの子」であり続ける少年を通じて、「オウムとは何だったのか」を問うよりももっと普遍的に、「他者によって規定されている自分」から「自分自身が決定する自分の価値」を発見していくことを描こうとしたのだろうと思う。ただ、そうなると、別にオウムを題材にしなくてもいいじゃないか、という感じの作品になってしまうことは否めない。実際、物語の骨格は山中恒の児童文学『ぼくがぼくであること』にそっくりだ。
ならばいっそのこと中途半端に「ニルヴァーナ」での生活の日々など描写せず、少年がとらわれている過去がどんなものかは暗示だけで済ませてしまったほうが映画としてはより効果的だったと思う。『黄泉がえり』のときもそうだったが、塩田監督、説明的な描写が多すぎてくどいのである。ラストの「これからどうするの?」「生きてく」という台詞の陳腐さはどうだろう。修行シーンやラストシーンをカットして、多少意味不明なところが出てきても全てを「象徴」として描いたほうが、ずっと面白い出来になったと思う。
しかし、こういう「僕って何?」的な話ってホント増えたね。こういうのは本来は「物語以前」のネタで、思春期の少年にしか通用しない、オトナが今更見るような話じゃないんだが、同様のネタである『エヴァンゲリオン』や『もののけ姫』に大人まで殺到している現実は、それだけオトナと称する人々も実は未成熟だということなのだろう。そういう現象を確認する映画としては面白いけど、こういう「芸術以前」の三島由紀夫的な鬱陶しい映画はしげの好みには合わなかったらしく、見終わった後、すごく疲れ果てていた。
世の中には地獄を見てきた子供なんていくらでもいるわけで、「オウムの子」だった事実なんて、たいしたことないよなあと見えちゃうのである。
帰宅して、サッカーなんか見ずに、『3年B組金八先生 最終回スペシャル』を見る。桜中学のモデルになった学校も廃校になるし、脚本家の小山内美江子さんもシリーズ中盤で病気降板してしまったし、これがホントにホントの最終回になるのかもと思って見てみたただけで、いかに「史上最悪のB組」を演出し、覚醒剤ネタまで持ち込んでも、最後がご都合主義の感動で締めくくってしまうのはドラマである以上は仕方がない。
この二十年、『金八』シリーズをどうしても好きになれなかったのは、金八が一見悩んでいるように見えて、実はまったく悩んでいないからである。結局はそれもドラマに結末つけなきゃならないためには金八に「答え」を語らせる必然から生まれた番組そのものが持っている矛盾であり、だから今回の最終回も、金八は決して教師を辞めないだろうと予測がついてしまうのである。どんなに悲惨な題材を持ってきても、所詮は予定調和、全然現実感がないんだわ。
古いドラマだけれど、加山雄三の『高校教師』のほうがヒロインの生徒が事故死するわ、加山雄三は教師を辞めるわ、現実感がありましたわ。
03月25日(金)
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