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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■じじじじじじじじ地震!(追加アリ)
>うはあ、思いっきり来ました。地震。本棚崩れまくり、私もしげも、山の中に埋もれましたが、とりあえずかすり傷ですんでいます。どの部屋も足の踏み場がない常態ですが、片付けできるかどうか先が見えません。
>今現在、電話回線がパンク状態で知り合いと全く連絡が付かないので、知り合いの被害状況は分かりません。分かり次第、掲示板に書き込んでいきます。
「状態」が「常態」になってる誤植はもう慌ててるんでお気になさらぬよう。
チャットも開いてみたが、すぐに書き込み不可能になる。やっぱジャバチャット、ものの役に立たんわ。
もう一度父に自宅電話から携帯に電話をかけてみると、今度は通じた。
「今どこ?」
「山口や」
「山口!? 何でそんなとこへ?」
「バスハイク。昨日、急に思い立って空きを探して行くことにしたと」
「じゃあ、地震のことは知らんとね」
「それは運転手さんから聞いた。お前んとこはどげんや?」
「本の山に埋もれたよ。この分だと店もマンションもひどいことになっとるんやないかな」
「それはしょんなかろう。ケガしとらんならよかたい」
「お父さんも外に出とってよかったね。じゃあ、地震は全然感じ取らんとね?」
「バスに乗っとっちゃもん。何が感じるもんか。お客さんに『地震はどげんでしたか』て聞かれたっちゃ、『知りまっしぇん』としか答えられんとたい」
しげと言い、父と言い、なんだか随分暢気だが、ともかく命に別状がなかったことは幸いであった。
知り合い連中とはほとんど連絡が付かない状態なので、とりあえず食料を調達しに出かけることにする。近所も食事どころの話ではないらしく、出前の寿司屋が走り回っている。逆にこういうときにはお店屋さんも大変だろうから休ませてあげたらどうかという気もするのだが。近所の「COCO一番屋」は、地震時には開店直前だったはずだが、電気を落として休業状態であった。
帰宅してみると、早速掲示板に書き込みがあったり、知り合いの何人かから何人か心配のメールが入っていた。履歴の時間を見ると、メールは地震直後に打たれていたのだが、やはりこちらに届くのに時間がかかっているのである。内容はもちろん、我々夫婦が「本棚の下敷きになってないか」、それを心配しているもの。誰も考えることは同じである。
特に加藤君のそれは、「藤原家の本棚は大丈夫ですか?!」というものだったが、これでは我々の安否より、本棚の安否を心配しているようである。加藤君もよっぽど慌てていたようだ。
以降の事情も、掲示板に書き込みをする。
>食料調達に外に出てきましたが、近所の店は臨時弊店のところが多い。
>でもセブンイレブンはあっという間に営業再開。根性あるなあ。ひっきりなしにお客さんが訪れて食料買い込んで行ってます。家の中が大変で大人が外に出られないらしく、カード持ったお子さんとかも来ている。
>私ら夫婦は何とか「けもの道」を作ったところで果てて昼寝。地震から五時間経ってるけれど、今もまだ余震が続いています。テレビを見ると、けが人が少なくとも福岡・佐賀で259人とか。住宅全壊が10棟、一部損壊が200棟以上。でも、鉄道バスの運転は何とか再開しつつある模様。
>劇団の連中の安否は、加藤君からメールがあったのみ、ほかの連中とは未だに携帯が不通なので分かりません。みんな大変な状況だろうけれど、無事なら劇団のホームページに早いとこ書き込みしてくれ。
「閉店」がやっぱり「弊店」と誤植されているなあ(笑)。
けが人はこの時点では200人台であったが、すぐに300人を越し、夜には400人を越すことになる。
続けての掲示板書き込み。
>JRは六時過ぎに全面復旧。けれど死亡者はついに出た。75歳のおばあさんが倒れてきたブロック塀の下敷きになって亡くなったらしい。福岡で震度五以上の地震が観測されたのは、大正十二年に観測が始まって以来、初めてだということだ。つまりは「全く地震なんて起こったことがなかった」というのと同じことで、それくらい、福岡という土地は地震に縁がなかったのである(昔、上京したとき、東京はなんて地震が多い土地だと驚いた記憶がある)。
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03月20日(日)
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