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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■会話のナカミがウスくったっていいじゃないの……ねえ。
 『オペレッタ狸御殿』でも日本語の歌を歌ってるそうだが、『さゆり』は完全な日本人である。『キル・ビル VOL.1』のルーシー・リューのカタコト日本語みたいになる可能性は頗る大なのだが、「それが楽しい」という映画の鑑賞の仕方だってあるのだ。「映画・ドラマのトンデモカタコト日本語」なんてサイトを誰か作ってたら、きっと大人気になると思うんだがね(私は疲れるので作りません)。なんにせよ、チャン・ツィイーがオーディションに合格しますように。マーシャル監督、よろしく頼みますよ。


 1988年に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の実行犯の一人で、服役後、今年になって別の監禁事件を起こして再び逮捕された会社員、神作譲被告の初公判が東京地裁で行われた。
 これまでの報道では、今年の4月に、被告の知人の男性が、自分が好意を寄せている女性と交際しているのではないかと思い込んで、男性を脅したときに、自分の起こした女子高生殺人事件を持ち出して、「おれは少年の時に10年懲役に行った。女を監禁した」とすごみ、「女を取っただろう」といいがかりをつけて、車のトランクに押し込んで、スナックに約5時間監禁して、暴行を加えた、ということになっている。
 公判で被告は起訴事実自体は認めたが、「脅迫のせりふは言っていない」と主張している。
 ……いやね、脅迫の言葉を言おうが言うまいが、監禁した事実は事実なんだから、なんでここだけ否定するのかね、そこんとこがなんだかよくわからないんである。この程度の否定で、罪が軽くなるものなのかね? あるいは本当にそんな言葉は吐いてないのかもしれないが、じゃあどうして被害者の男性は被告に前科があることを知ったのか、それもよくわからない。まあ、更に「知人」の誰かがこっそり男性に耳打ちしていたのかもしれないけれどもね。
 この事件でまた、「加害者に厳重な刑罰を」という世間の主張は高まると思うが、だからと言って、刑法が改正される見込みはあまりないと思うのである。例えば少年犯罪の増加に伴って、少年法は確実に厳罰主義に傾いていて、改正もされているのだが、結果は犯罪の低年齢化を招いただけだった。これが「人権派」の「厳罰主義は犯罪の抑止力にはならない」という主張の根拠ともなっている。
 私に言わせれば、少年法が存在していること自体、ナマヌルイんであって、小学生だろうが幼稚園児であろうが、犯罪者は犯罪者として処断しなきゃ厳罰主義とは言えんだろう、赤ん坊がナイフを振りまわして、誤って人を刺し殺したら過失致死罪に問え、そこまでやらなきゃ本当の意味で犯罪を抑止する効果はない、と思っているのだが、そこまで言うと「何もそこまで」と尻込みして「加害者擁護」に回ってしまう人が多いのである。所詮、このクニの人たちは、自らも悪に徹して悪を処断する勇気も覚悟もありゃしない。トホホだよ。
 もちろん、神ならぬ人間に、人間を裁ける権利などない。いや、私は別に神を信じちゃいないが、人間が人間を裁くことがどれだけ傲慢なワザであるかは承知している。しかし我々はあえてその「神の代理」たる傲慢を行わなければならないものなのだ。治安がどうの、という問題を言いたいわけではない。社会は人間が存在しなければ成立しえないが、社会を成立させるためには人間の外に人間を越える「何か」が存在しなければならない、ということなのである(宗教でならそれは「神」になるし、一般的には「法」がそれを代行している)。「憎むな、殺すな、赦しましょう」の月光仮面だって、どくろ仮面を殺しているのだよ(相変わらず譬えが古くてすまないねエ)。
 ここは、死刑囚の死刑執行ですらためらわれるクニである。みんなで犯罪者を人権擁護の美名の陰に隠し、ヌクヌクと成長させながら、その事実から眼を背けている国である。これももう何度も書いてることだが、よっぽど残忍で残虐で目を覆いたくなるような犯罪でも起こらない限り、何も変わりゃしないって。

07月28日(水)
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