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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■今度の『コナン』は覚悟しろ!&「Aemaeth賞」受賞。……って私!?

 つまり、中身の優劣ではなく、「『イノセンス』って、こんな読み方もできるんだよ」っていう「多様性」を感じさせるものを選んだ、ということだ。私は日記でも何度となく書いていることなのだが、自分の文章というものに全くと言っていいほど自信を持っていない。今回書いた『イノセンス』の感想文も、勢いで書いただけのしろものだから、読み返すだに「こいつはつまり何が言いたいのだ? 『愛』を肯定したいのか否定したいのか?」と、その論旨の曖昧さに赤面してしまう。だから、決して「優劣」ではない、このような基準で自分の文章が選ばれたということがとても嬉しいのである。
 ともかく、「映画」はいろんな見方ができるから楽しいのだ。賛否両論、毀誉褒貶、様々な意見が飛び交うということは、それだけ作品に力がある証拠であり、批評とは誉めるにしろ貶すにしろ、その作品の持っている「力」を引き出してみせることにその使命がある。当たり前の話だが、「主役」なのは批評の対象となる「作品」そのものなのだ。
 ところが世の中には、作品の批評や感想を、自分を語るため、世間に自分を認めさせるための手段だと勘違いし、半可通な知識で「映画論」とやらをぶつ腐れた人間が山のようにいる。これは自己宣伝のために「映画」を利用しているだけであって、映画に対する「愛」に全くと言っていいほど欠けている行為である。
 宣伝されるべきは「作品」なのであって、「自分」ではない。自己宣伝をあえてせずとも、そこに「魂」が、「愛」がこもっていたならば、自然、「自分」は表出されるものだし、「作品」を壊してしまうことにもならない。「イノセンス感想文」にはその「愛」に満ちた文章が多々あった。私のようにくどくもなく、すっきりと内容の伝わってくる文章や気の利いたものも多い。その中に私の駄文も並べてもらったことは、言葉を尽くせぬほどにすばらしい果報だと思うのである。
 まあ、そういうことなんで、ささやかな受賞ではあるが、浮かれちゃっているのである。数少ない読者のみなさん、もしよかったらサイトが消える前にちょっくら覗いてみてくださいませ。↓

http://www.innocence-movie.jp/comingsoon/kanso.html

 リンクの色、解りにくくてすみません。

04月23日(金)
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