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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■私は多分ちょっと本気で怒っている/『放送禁止歌』(森達也)
 「傷つく人の気持ちを考えて」とは差別を問題とする人権派の人たちがよく口にすることではある。しかし実のところ、放送業界での「禁止用語」というのは単なる言葉狩りにしかなっていない。『手紙』などは歌詞を読めばどう解釈したところでこれは「差別に対する怒り・告発」としか読めまい。それが「放送禁止歌」になってしまう点に、現実として差別を温存する土壌が存在しているのである。
 「糾弾」を行っているとされる某団体は、よく「文脈を捉えて批判するのならともかく、安易な言葉狩りはしていない」と主張している。本書でも、著者の森さんがその団体の役員の人に「放送で○○・○○という言葉(最大級の差別語とされているもの)を使っていいですか?」と質問したところ、「使い方には留意してください」と了承している(実際の放送には使用されず)。
 けれど、その団体が放送局の「勝手な自主規制」について積極的に改正を求めたなんて話は殆ど聞こえてこない。某団体は、『手紙』が放送禁止の憂き目にあっていることに対して、果たして抗議の姿勢を示したことがあったのだろうか?
 更に言えば、いつぞやの某作家の断筆に関する討論番組で、当時のその団体のトップの人が「○○・○○という言葉は聞くだけでイヤだ」と発言したのを私はしっかり覚えているし、録画もしている。文脈どころか、それは「発言」自体を封印させかねない「圧力」であり、「言論統制」以外の何物でもなかった。
 こんな態度で、どうして「表現の自由を脅かすつもりはない」などと言えようか。結局あの団体も一枚岩ではなく、人によって時によって言ってることがコロコロ変わるのである。放送局側が難癖つけられることを恐れてコトナカレに走るのもそこに原因がある。
 放送局側の弱腰について、糾弾はされてしかるべきだろうが、一番の問題は「被害者ヅラした加害者」である某団体であろう。過度の糾弾がかえって差別を助長し、わけのわからない後続の糾弾組織(「かわいいコックさん」まで黒人差別だなんて言ってるバカ親子とかな)を乱立させた原因になっていることを彼らは少しは自覚しているのだろうか。
 文句があるなら、「放送禁止歌などを想定している放送局を糾弾する」声明でも発表してからものを言え。

 最後に、岡林信康の『手紙』の歌詞をここに引用する。私の意見が間違いと思うのなら、まず、この歌詞に対する批評から始めてもらいたい。

> 私の好きな みつるさんが
 おじいさんから お店をもらい
 二人いっしょに 暮らすんだと
 うれしそうに 話してたけど
 私といっしょに なるのだったら
 お店をゆずらないと 言われたの
 お店をゆずらないと 言われたの

> 私は彼の 幸せのため
 身を引こうと 思ってます
 二人はいっしょに なれないのなら
 死のうとまで 彼は言った
 だからすべて 彼にあげたこと
 くやんではいない 別れても
 くやんではいない 別れても

> だけどお父さん お母さん
 私は二度と 恋はしない
 部落に生まれた そのことの
 どこが悪い どこがちがう
 暗い手紙に なりました
 だけど私は 書きたかった
 だけど私は 書きたかった

07月04日(金)
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