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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■事故の顛末(^o^)A/『偽史冒険世界』(長山靖生)/『ハプニングみたい』(いとうせいこう・岡崎京子)ほか
 ああ、たった1巻で終わっちゃったなあ。確かにそんなに面白い連載じゃなかったけれど、もしもこの先『少年チャンピオン』からお呼びがかからなくなっちゃうとしたら悲しい。できればもう1回くらい高橋さんにチャンスをあげてほしいものだが。
 様々な「恐怖症」患者を、いかにもアヤシゲなドクター・フォービア(とその助手・千悟)が「治療」していくという設定はいいのだが、ページの短さもあってか、オチが殆ど一発アイデアで、当たり外れの振幅が大きい。
 第1話の「“月”恐怖症」など、タイトルだけでオチが読めてしまう人も多いのではないか。
 いや、オチが読めること自体は必ずしも欠陥とは言えない。1話のオチは、本来、そこから「恐怖症」が発生する物語にしなければならないのじゃないか、と思える点で、「安易」な印象を脱ぐいされないのである。
 それに比べると、17話の「雪恐怖症」は、恐怖の先にある物がなんであるかを暗示していて面白い。
 空に浮かぶ雪の精。青年には彼女の姿が見える。雪を見るたびなぜか恐怖を覚える彼は、自分の記憶に封印された部分があることに気づく。しかし雪の精は青年に語らう。「それは怖いことなの。思い出さなくていいことなのよ」。しかし青年は衝動に突き動かされてドクター・フォービアを訪ねる。そして、渡された「記憶の小箱」を空けると……。
 これもオチが読めないこともないのだが、第1話と違って安易さは感じられない。夢の終わりが一つの恐怖であることを我々は無意識のうちに感じとっているからかもしれない。
 まあ、要するに「理に勝ち過ぎてる」話は面白くないけど、「情に訴える」話は感動するって、ごく当たり前の結論なんだけどね。 


 いとうせいこう・岡崎京子『ハプニングみたい』(講談社/KCデラックス・1000円)。
 「岡崎京子」の名前に驚いて、岡崎さん、元気になったのかと思ったら、旧版の新装版であった。
 岡崎京子がまず絵を一枚描く。ただし、描きながらコピーを取っていく。一枚の絵が完成していくまで、制作途中の絵が十数枚生まれる。それに、いとうせいこうが物語ともエッセイとも感想ともつかない文章をつけていく。
 試みは面白い。面白いんだけれど、残念ながらできあがった作品は今一つ。理由は簡単で、いとうさんの文章が岡崎さんの絵に追従した形にしかなっていないからだ。それが証拠に、文章を無視して岡崎さんの絵だけを見ていくと、これがとてつもなく面白いのである。
 この絵はいったいどんな完成形を見せるのか? それを想像しながらページをめくっていく楽しさよ。想像力が貧困で、いとうさんの書く文章に一読三嘆してしまうような人ならば面白く読めるのかもしれないが、たいていの読者にはいとうさんの文章は陳腐にしか映るまい。それはいとうさんに才能がないということではなく、開放された個人の想像力には、生半可な才は到底かなわないからだ。
 山崎正和の文じゃないけどさ、いとうさんのやったことは「ミロのビーナスに腕をくっつけてみる」行為でしかないのだ。そりゃムチャってもんでしょ。

 白い画面に黒い点が一つ。
 次のページでは女の子が現われる。
 黒い点からは何か動物のものらしき足跡が現われる。
 あちらにも。
 こちらにも。
 黒い点は穴なのか?
 そしてまた、女の子の向こう側にも黒い穴が……。

 この絵の1ページ目に、いとうさんがつけた文章は、こうである。
 「(白い画面について)このあたりは幸福。何の疑問もない。(中略)
 (黒い点について)黒いしみ? そんなことはわかっている。だがなんのだってこと。(中略)ミクロなレンズで見たホクロ! つまり皮膚のどアップで……。……違うな、きっと。あるいはまさか? 印刷ミス!?」
 まあ、これで面白いと思う人はそれはそれでいいんですが。(2003.3.16)

02月17日(月)
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