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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■今日はケンカしなかったね/映画『スコルピオンの恋まじない』/DVD『新八犬伝 辻村ジュサブローの世界』
劇場で折りたたみ傘を200円で売っていたので、これを買う。しげはこういうときに絶対に傘を買おうとしない。どういう心理なのかよくはわからないのだが、傘を差すなんて重いし面倒臭いし、よっぽどの大雨でない限り、濡れた方がまだマシだ、という感覚のようだ。必然的に相合傘になるんだけど、そうすると照れて「アンタ一人で差してりゃいいよ、二人で入ってたら鞄やパンフが濡れるよ」なんて言うんである。女房一人を雨に濡らせて、カバンのほうが大事、だなんて「厩火事」みたいなマネが出来るかい。それに一人で傘差してたって、体でかいからカバンははみ出て濡れちゃうんだよ。
幸いパンフは正方形で文庫よりちょっと大きいくらい、カバンの奥にしまえたので濡れずにすんだ。
食事をどこでするかで相談、雨もあがってきたので、少し歩いて、リバレインの柳川屋で久しぶりに「櫃まぶし」を食べようということでまとまる。
天神から中洲を通っていると、しげがレストランの前で立ち止まる。マクドナルドがロッテリアにいつの間にか変わっているのを見て、驚く。
「うーん、ロッテもいいなあ」なんてことを言うので、「うなぎはやめたの?」と聞いたら、「あっ! うなぎ食べに行くんやった!」と叫ぶ。
今、どこに向かって歩いてると思ってたんだ(-_-;)。
柳川屋で特上の櫃まぶしを二人分。いつもはしげはうな重の方が好きなのだが、私があんまり「櫃まぶしは美味い」というものだから、今日は「あんたと同じもんでいいよ」。私の分も分けてやったから、しげは充分満足だろう。
店を出る時に、しげ、カバンを持っていないことに気がつく。
「持ってきてたの? じゃあ、映画館に忘れた?」
「うん……」
「じゃあ、今から取りにいくか」
「いいと? また歩かないかんよ? 帰るの遅れるよ?」
「別にいいけど? 休日だし。何がイカンの?」
「アンタのことやけ、『遅くなるけん、先に帰る』とか言うかと思った……」
「……あのな、そうやってオレを『自分モード』で勝手に極悪人に仕立てるの、やめてくれる?」
ありがたいことにカバンは映画館で預かってもらってました。
帰宅して、DVD『新八犬伝 辻村ジュサブローの世界』を見る。
もうこの作品は超々々大好きだし、しげにもぜひ見てもらいたいと思っていたのだが、残念ながら、今、残っているのは、2年間の放送分のうち、わずかに第一回、第二十回(第一部最終回)、第四百六十四回(完結編)の三回分のみである。これでこの作品の面白さを伝えようってのはまあ土台ムリな話なのだが(なんたって、二十回のラストで丶大法師は八犬士を探す旅に出るのだが、次の回では八犬士はみんな揃ってて、法師は切腹して果てるのである)、なんとか間のストーリーなどを説明しながら見てもらう。でも反応は「私のうまれた年って、こんなのやってたんだあ」程度のもの。
いや、その程度のものじゃなかったんだ、『新八犬伝』の面白さは。『八犬伝』の小説化、映像化、漫画化は数多いが、数々の脚色が施されているにも関わらず、この『新八犬伝』が最も原作の精神に忠実であり、かつ最高傑作であることを私は主張して憚らない。
確かに、原作は勧善懲悪、因果応報の物語であるにも関わらず、脚本の故・石山透氏は、原作ではあえなく死んでいった悪人たち、網乾左母二郎や舟虫を最後まで死なせなかった。教条主義的正確の強い馬琴が『新八犬伝』を見れば、恐らく激怒したことだろう。
しかし、石山氏は明確に「今、子供たちに何を教えるか」というイメージを持っていた。それは氏が、トコトン「言葉」に拘っている点に現われている。今、わずかに残る『新八犬伝』を見ても、とても小学生には理解不能ではないかと思える言葉が出てくるのに驚く。
例えば、元・金腕大助こと丶大法師は、最終回で僧侶の身から元の武士に戻る。俗世の人間が僧になることは「出家」と言うが、その逆は何と言うか? 「還俗」というのである。私がこの言葉を知ったのは、まさにこの番組であったし、それ以外にも数限りない言葉をこの番組から学んだ。
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02月15日(土)
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