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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■閃光の意味は/アニメ『明日のナージャ』第1回/『グーグーだって猫である』2巻(大島弓子)
私だって、面白ければ『ジャンプ』だって隅から隅まで読むだろう。昔は『ジャンプ』『マガジン』『サンデー』『チャンピオン』『キング』、それ以外にも結構な数の雑誌を立ち読みと貸し借りを駆使して本当に全部読んでいたのだ。しかし、マンガ文化がここまで爛熟してしまうと、その全てを追いかける情熱自体が自分の中から消えていってしまう。私だって、マトモに「若者文化」を語ろうと思ったら『テニプリ』も『NARUTO』も読まなきゃならないんだろうが、如何せん、全く食指が動かないのである。
もちろん、食わず嫌いというわけではなくて、チラッとは見てみた上で先を読んでみようかどうか判断するわけだが、さて、そうしてみても『テニプリ』のどこがどう面白いんだか、サッパリわからないのである。物語が破綻してるとか、そういうんじゃなくて、ただただヘタで陳腐なだけにしか私には見えないんだが。
こうなると、私にも「マンガは語れない」。
けれどそうなると、そもそもこの膨大な作品群がひしめいていて、「基礎教養」すら身につけられない状況の中、果たして批評自体が成立する余地があるのか、ということになってしまう。
もちろんその道を模索しないことには、「語る」こと自体が意味をなさなくなってしまうのだが、なんかねー、最近はねー、私のやってることがことごとく空回りしてる気がしちゃってねー。だって、「読みたくない」人間にとっては、手塚治虫だって、藤子不二雄だって、赤塚不二夫も石森章太郎も永井豪もエトセトラエトセトラ、「存在しない」のと同じなんだから。
……なんだかこれ以上考えていっても、同じことを繰り返しそうな予感があるのでこのへんでやめておこう。疑問は残るばかりだけど。
晩飯(と言ってもしげが仕事から帰ってきてだから深夜なのだが)はジョイフル。
知り合いの女の子が働いていたのでびっくりしたが、「いろいろお世話になりまして」とか言われたんでなおびっくりした。何をどう世話したのか、きれいサッパリ忘れていたからである。
あとで「ああ、あれのことか」と気づいたが、別に艶っぽい話ではないので、読者諸賢はあまりヘンな期待はしないように。
どうも私は自分でも知らないうちにいいことをしているらしい。困ったな、できるだけ人に感謝されない人間になろうと努力しているのだが。でないとすぐしげが嫉妬するし。
しかし、自分の夫が世間のツマハジキモノになって欲しいと願ってる妻ってのも、人間としてどうかと思うのだが。
キムチ定食を食いながら、しげから今日の練習の様子を聞く。
円谷君が演出を降りる話は先日聞いてはいたが、結構ひと悶着があったようである。
円谷君、これまでも演出プランを何も考えずに練習場に来たり、役者が質問をしても全く返事ができずに立往生したりと、ホントにただのウドの大木だったらしい。本人はそれでもめいっぱいだったのかもしれないが、メンバーは「いい加減」としか見ていなかった。
「学校の方が忙しくなるから」という円谷君の言い訳に鴉丸嬢がまず噛みついたとのこと。「そんなの最初からわかってたでことじゃない。なんで演出引き受けたの?」。
鴉丸嬢のこの疑問、というより糾弾は至極マットウなのだが、マットウなだけに相手に反駁の余地を全く残さない。ついには円谷君、泣き出してしまったそうな。
泣くようじゃ同情はできんなあ(-_-;)。
円谷君も、知り合いの演劇関係の人に話を聞いたりして、自分なリに努力はしていたと主張したそうだが、それが現場に全く生かされてないのでは、口にするだけ卑怯な言い訳にしかならない。みんな怒ってたろうなあ(ー∇ー;)。
自分の言葉がどれだけ相手の神経を逆撫でしているか、最後まで気がつかなかったというのはある意味シアワセな人なんだが、一緒に何かを作っていくにはちょっと向かない。
結局、演出は鈴邑君に決まったとのこと。さて、円谷君はあと何をしたいのだろうか。
マンガ、大島弓子『グーグーだって猫である』2巻(角川書店・1155円)。
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02月02日(日)
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