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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■You bet your life!/映画『とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ! 幻のプリンセス』/『ゴジラ×メカゴジラ』
で、この湯原、メカゴジラ=機龍のオペーレーターに復帰した茜にコナかけてくのよ。ああ、ゴジラ映画がどんどん三文芝居に毒されてく……。こーゆー寒い展開に耐えられる人って、私生活でも湯原みたいに寂しいんじゃないかって気がしてくるけど、違いますか。
一度ミスを犯した茜がたいした状況の変化もないのに簡単にオペレーターに復帰できたのも謎ですねー。もちろん機龍隊の隊長・冨樫(高杉亘)のヒキがあったってことにはなってるけど、それだけしか説明がないから、この二人、ただアヤシイだけじゃないかって見方も可能。ダメだよコドモ映画でそんなオトナの雰囲気漂わしちゃ(^o^)。
このへんはまだ許せるんだが(許せるのかよ)、もう匙投げちゃったのが、茜と同じ機龍隊に配属された葉山弟(友井雄亮)の設定と演技。いくら兄が茜のミスで死んじゃったからと言って、仮にも対ゴジラチームのエリートとして選抜されたはずの男がだよ、茜を逆恨みしてやたら感情的に「こんなやつの近くにいるとみんなも殺されますよ!」なんてオーバーアクトしちゃうのは、いくらなんでも芝居が安っぽすぎる。ホントの敵はゴジラで、茜じゃないだろ? そんな小学生にもわかる理屈がこいつにはわからんのか。こんなバカに治安を任せてんじゃねーよ(-_-;)。「人間ドラマ」ってこういう「バカを描く」ってことを言うんですか? てゆーか、脚本と監督がバカなのだね。
葉山にとって兄の死がトラウマになってるって設定自体は悪くない。
だからさあ、例えば、最初、葉山本人はそのことを自覚してなくてね、あくまで茜と協力してゴジラに対抗しようとしてるってことにしておいてさ、いざと言うときになって、茜が危機に陥ったときに彼女を助けようとするんだけれど、その瞬間にふと、忘れていたはずの「兄さんはこいつに殺されたんだ」という思いが涌きあがってきて、助けの手が止まって茜が死にかけるとかさあ……まあ、これも安っぽいことは安っぽいけれど、オーバーアクトよりはマシじゃないかね。もちょっと「人に見せられる」ものを書こうよ、脚本家。プロで一応食ってんだろ?
そんな複雑な心理描写なんか、コドモにゃ難しすぎる、なんてのは、コドモの理解能力をバカにした発言だから、みだりに使わないようにね。既に我々の小学生の頃から「ゴジラシリーズで映画として見られるのは第一作のみ」ってのは常識だったんだから。だいたいゴジラ映画をオタクとコドモのオモチャに貶めちゃったのは、受け手よりも作り手の方の安易さに原因があったんだからさ。一般のお客は離れて行くって。
ほかにもデタラメな展開、つじつまの合わない設定など、ツッコミはいくらでもできる。
作中に挿入されるかつての作品、『モスラ』や『サンダ対ガイラ』と、本作との整合性が曖昧なところとか、湯原の娘・沙羅(小野寺華那)が「ゴジラだってメカゴジラだって生きてるのよ! どうして人間の都合で殺そうとするの!」なんて安っぽいヒューマニズム振りかざすところとか。葉山弟が殺すべきはこのムスメの方ではないのか(^_^;)。
物語が政府と特自の動きばかり追ってて、庶民の反応が殆ど描かれないとこもちょっとねえ。
いや、勢いで見せてくれる演出をしてくれてたら、そんなのはどうでもよく感じられるんだけれど、今回、「機龍を開発したことが、日本を軍事国家への道に歩ませることになるんじゃないか」というようなセリフや、機龍暴走による責任を取って「内閣総辞職もあるか」というニュースが流れる描写などが挿入されていると、再び機龍を対ゴジラ兵器として投入する決断を五十嵐総理(中尾彬)があっさりと取っちゃった瞬間、「おいおい、庶民はそれで納得しないだろ?」とツッコミ入れたくなってしまうのである。
ましてや、関東一円の電気を全てメカゴジラに投入するって……、あの、都内には電気を必要とする病院の患者さんたちも多数いるでしょ? その人たちは見殺しですか? 昔『スペクトルマン』じゃ、サンダーゲイに電気食われて手術中の患者が死ぬ、なんて悲惨な描写がちゃんと描かれてたもんだけどなあ。ゴジラ映画、ピープロ以下。誉められたもんじゃないよ、これ。
で、まあ、その辺はまだ軽いキズなんである(おいおい)。
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12月14日(土)
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