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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■トイレはなが〜いお友達/映画『ザ・リング』/DVD『北京原人の逆襲』
 さて、ここで冒頭の伏線、ジョニーを手ひどく振った女が、「お兄さんよりやっぱりあなたがいいわ!」とジョニーに復縁を迫る。これに乗ってキスしちゃうのだこの男。特撮の主人公で、これだけ卑劣な男がかつていただろうか(ー∇ー;)。もちろん、その現場をサマンサは見ちゃうのである。
 「私をだましたのネ!」と随分英語が流暢になったサマンサ(^o^)、部屋を飛び出し、檻に入れられた北京原人のところにやってきて「ジャングルに帰りたいわ……」と泣き崩れる。そこにやってきたのが件の興行主。「何泣いとんのや、慰めてやるよってに、わしの部屋に来んかい」と、ムリヤリサマンサを部屋に連れこんでレイプする。
 ……あ〜、伏線って、これ怪獣映画の伏線じゃないわ。昼メロの伏線だ。
 で、この興行主、バカなことに北京原人の目の前のホテルの一室で、窓空けたままサマンサを襲うのである。そら、北京原人怒るわ(^_^;)。
 鎖を引きちぎり、檻をぶち壊して、逃げ出した興行主を踏み殺し、香港の街を破壊しまくる北京原人。この香港の街、日本の有川貞昌の気の入ったミニチュアセットで、実に出来がイイ。『怪獣総進撃』の1.5倍はイイぞ。予算かけてんだろうなあ、こんな映画なのに。

 当然、最後はビルの上に登る北京原人。ヘリコプターで銃撃するもなかなか死なない。このへん、ギラーミン版「キングコング」より遥かにしぶとい。合流したジョニーとサマンサが北京原人にジャングルに帰るよう、説得を試みるが、軍隊はその間、攻撃をやめるとジョニーに約束しておきながら、ビルごと北京原人もジョニーもサマンサも爆弾で破壊しようとする。
 それに気付いたジョニー、爆弾を取り外そうとするが、時既に遅し、ビルは爆発され、北京原人は燃えながら地上に落下して死ぬ。かろうじて助かったジョニー、ヘリコプターの銃弾に倒れたサマンサを抱いて、夜の香港の街を見ながらいきなり終劇。
 ……え? 余韻は? 間がねー!
 まるでヒッチコックのような演出で(あの人も余韻を嫌ってあっさり終わらせることが多いのである)、原典版『キング・コング』の「野獣はいつも女に殺されるのさ」みたいな気の利いたセリフも、「あの北京原人が一匹だけとは思えない」的な文明警鐘のセリフも全くない。「別に見せるものは全部見せたんだから、これで終わってイイじゃん?」っていう製作者の発想が実にハッキリしてるのである。
 ……エンタテインメントに徹してるなあ(^o^)。

 「キング・コング」ものというのは、実は「怪獣映画」というよりは「美女と野獣」ものの恋愛映画の系列に連なる。ファム・ファタールによる男の悲劇なのであって、『ゴジラ』よりよっぽど『風と共に去りぬ』に近いのだ(もちろん、レット・バトラーがキング・コングだわな)。
 「怪獣映画」というのは、やはり日本の『ゴジラ』が作り出した概念であるのだ。怪獣は怪獣であって、恐竜でも巨大生物でもモンスターでもエイリアンでもない。「でも『怪獣』って、英語で『モンスター』って言うんでしょ?」と反論されそうだが、実は『ゴジラ』を「モンスター映画」というカテゴリーに入れることも適切ではないのだ。フランケンシュタインのモンスターには人間によってもたらされた「悲しみ」がある。しかし、ゴジラはもともと純粋な恐怖の象徴なのであって、人間的な何物をもそこには見出せなかった。ゴジラが暴れてても別に「ゴジラも水爆ですみかを追い出されて、ツラかったのよね」とか同情したりはしないのだ(『失われた世界』や『恐竜100万年』なども「秘境映画」「恐竜映画」のカテゴリーで考えるのが妥当である)。

 『北京原人の逆襲』は、ラスト近くまで全く怪獣映画のテイストを見せず、旧来の「美女と野獣もの」のドラマ展開に昼メロを混ぜつつ(^_^;)、冒頭とラストだけ「怪獣映画」の演出で挟むというメチャクチャな構成になっている。到底マトモな映画としては評価できないのだが、しかしちょっと待ってもらいたい。

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11月02日(土)
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