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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■夫婦ファイト!/『コリア驚いた! 韓国から見たニッポン』(李元馥)/『ロングテイル オブ バロン』(柊あおい)ほか
 「オレも間違ってるかもしれないけれど、アンタは自分が間違ってるかもしれないって思わんの?」
 「誰もそんなこと話してないだろうがあ! それが詭弁だってんだよ!」
 結局、これ以上話しても不毛なだけなので(っつーかケンカの原因自体が不毛)、「しげは指示語が何を差すのかわからないくらいバカだから、これからは指示語をできるだけ使わずに、幼稚園の子供を相手に話すつもりで丁寧に説明するようにします」と約束して決着。
 気がついたらしげは仕事の時間が迫っていて食事どころではなくなっていたのだった。とほほほほ(T∇T)。


 DVD『千と千尋の神隠し』の画像が赤味がかっているという苦情がスタジオジブリに殺到しているそうである。
 えええ? そんな不良品、つかまされたのか? 私が見たときには全く気がつかなかったぞ、と思って改めて再生して見たが、特に赤っぽいという気はしない。パソコン画面で見ると違うのかと思って見てみたが、やっぱりそんな印象はない。
 もっとも私は色弱なので、色の濃い薄いの区別はあまりつかない(この「色弱」ってのも差別用語で、今や「色覚異常」と言わねばならないそうだ。でもそれだと「色盲」との区別がつかないし、「異常」なんて言い方のほうがよっぽど差別だと思うから、あえて従来通りの言葉を使わせてもらう。色弱の人間に断りもせず勝手に差別語にするな。わしゃ「色弱」と言われたって全く傷つかんわい)。
 濃いと言われりゃそうなのかもしれないが、気にするほどのものなのかなあ。世の中の人って、そんなに色に拘ってるのかなあ。赤と青の区別さえつけば信号は渡れるぞ、それじゃいけないのかなあ。
 でも「色の分らんやつは黙っとれ」とか誰かさんから言われたらヤだから、このへんで言うのやめとこ。現物がどんな感じなのか気になる「正常」な方々は、以下のURLを覗いてみなっせ。

 http://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/jul/o20020723_40.htm


 柊あおい『ロングテイル オブ バロン 絵本とムックで紡ぐ猫の男爵のもう一つの物語』(こだま出版・1800円)。
 映画『猫の恩返し』のムック『バロンの手帖』と、柊あおい自身によるサイドストーリー『空の駅』の二冊をセットにしたもの。
 映画のムックはいろんな出版社から出されているけれど、絵本をつけたことで得点は高い。ムックの方も柊さんのカラーイラストが豊富で、映画以上に猫猫した(ど〜ゆ〜形容じゃ)不思議なムードの猫たちに溢れている。
 柊さんのインタビューを読む限り、作者としては『耳をすませば』のアニメ化について不満な点もあったようだ。「ムーンは私には黒猫ですから」なんて発言には、『耳すま』でムーンをあんなブタ猫にされてしまったウラミもあるのだろう。
 でも、柊さんがオトナであるのは、アニメのイメージに重なるデブ猫を新たに「ムタ」として案出したこと。なかなかできるこっちゃないな。そして『猫の恩返し』が、『耳すま』の雫が創作した物語であると設定したことで、原作からもアニメからもリンクできるようにしたのは実にうまいアイデアだ。
 そして絵本、『空の駅』の出来。
 これもまた雫の描いた絵本、ということなのだろうか、孤独な少女が闇の列車に乗ろうとする、ちょっと『銀河鉄道の夜』を彷彿とさせる物語。バロンは彼女の心が「光」を取り戻すきっかけを与える役割だ。
 柊さんが宮澤賢治に創作の源泉を求めていることは見当がつくが、賢治の世界にバロンのようなキャラクターはいない。人を「光」に導くものは、賢治にしてみれば自らの犠牲的精神そのものである。
 しかし人は弱いものだ。自らを鼓舞してもなお、立ち上がれぬときがある。バロンは、そういう人々に「声」をかける。それが彼に与えられた役割である。
 バロンは預言者か? それともただの狂言回しか?
 恐らくどちらでもない。バロンは知っているのだ、少女たちが本当は自らの力で立ち上がれることを。ほんの少し、勇気を出すことをためらっているだけであることを。

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07月23日(火)
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