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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■夫でも義理チョコ。……夫だから?/アニメ『七人のナナ』第6話/『金田一耕助の帰還』(横溝正史)ほか
……関係ないが、多分、生え抜きのシャーロキアンならば、今、アフガンあたりに取材に行ってるジャーナリストに知り合いがいたら、帰国するのをウズウズとして待っていることだろう。
もちろん、「君はアフガニスタンに行っていましたね?」と言うためである(言わずもがなだが、ワトスン博士はホームズに会う前に軍医としてカンダハルに着任してるんである)。
マンガ、佐藤マコト『サトラレ』2巻(講談社・530円)。
きわどいシチュエーションで毎回よく描いてるよなあ、佐藤さん……と思ったが、この話って基本のストーリーラインは「相手にバレないようにことを運ぶ」って昔ながらのシチュエーションコメディなんだよね。
「自分が魔法の国の王女様であることをバレないようにする」
「自分の婚約者がニセモノであることをバレないようにする」
「自分の家がホントは貧乏であることをバレないようにする」
でも『サトラレ』が面白いのは、その「バレないようにする」ってのが、本人が懸命になってるんじゃなくて、周囲が、しかもその「本人のために」行おうとしてるってことだろう。
だから物語の印象がとても「優しい」。
しかしそれはこの物語を成立させる重要な要素であると同時に、物語を根底から破壊してしまう危険すら孕んでいる。
里見健一も、木村浩も、星野勝美も、大槻翔も、片桐りんも、西山幸夫も、自分がサトラレであることは知らされてはいない。
もちろんそれは彼らが「天才」であり、社会的に保護される価値があると見なされているからである。
しかし、それはあくまで「政府」や「自治体」「会社」などの組織の論理なのであって、そういった「天才性」を抜きにして彼らサトラレを守ろう、とする周囲の人々の活躍によって物語は紡がれていくのだ。
それはまさしく、映画版を見たときにはクサイな、と思った「サトラレだって人間です」というセリフ、彼らにたとえ「天才」という価値がなくたって「人間」という価値がある。そこに物語の論理が依拠しているからにほかならない。
だからこそ、ここに最大の問題も生じてくるのである。
「サトラレ」が「人間」ですらなくなったらどうするのか?
つまり「人間」としての価値すらなくしてしまったら。
大槻翔が「殺意」を抱く物語、話は随分あっさりと終わってしまったが、これ、そんなに簡単に結末つけられるテーマではないのではないか。
「サトラレ」が天才ではなく「ただの人」であったら、あるいは「人でなし」であったら、それでも「彼らを守る」物語は作れるのか。
……ただのシチュエーションコメディで終わらせるにはちょっとハード過ぎるモチーフを内包している。でもそのことに作者自身、すでに気付いているはずだ。だから、里見健一と木村浩という二人のサトラレをついに「接触」させた。
果たしてこの結末はどうなるのか。
木村浩が自分のことをサトラレであると知る物語、あるいは西山幸夫と小松洋子の間に生まれた子がサトラレであった場合、洋子は夫と子供のどちらを選ぶのかという物語。
その二つの物語のどちらかが、このシリーズの最後になるのだろう。
単純に考えれば、この物語の結末は悲劇でしかありえない。
しかし佐藤さんがここまで描いて来たのはすべて彼らサトラレを「守る」物語だった。
だとすれば、どんなに乗り越えることが困難な設定であっても、決してアンハッピーエンドにはしないという決意をしているはずだ。
その決意に揺るぎがないことを願う。
02月14日(木)
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