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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■そろそろこの日記タイトルにも飽きてきてるんだけど/『社会派くんがゆく!』(唐沢俊一・村崎百郎)ほか
実際、いろんなマンガを参考にしているために、大胆なポーズやアングルが駆使されていて、見ているだけでビックリさせられるカットが連発。これを文章でどう表現したらいいのか(^_^;)。階段の手すりが折れて、ヒロインの母親が落ちていくカットなんか、ソルボンヌさんは「まるでイタリア映画のようなダイビング!」と評しているが、こんな歪んだ水泳飛びこみみたいな落下、一体どんな映画に出てきたんかね。
ともかく、えらく繊細でウマイ絵と、ナゲヤリでヘタレな絵が混在しているのだ。それを作者が全く気にしていないらしいのがともかくスゴい。
少女マンガと劇画のごった煮はこんな初期作品から始まっていたのだ。
不幸な女の子が運命に翻弄され、最後にハッピーエンドになるという、少女マンガと言うより、『落窪物語』以来の日本女流古典文学の定番パターンを、臆面もなく展開させている当時の資本漫画のパワーには圧倒されてしまう。自殺しようとする少女をカモメが助ける、なんて超自然的な展開も当時はよくあったんだよなあ。
あっ! とすると、こんなところにも『オトナ帝国の逆襲』のルーツが!
ヽ(^。^)丿
唐沢俊一・村崎百郎『社会派くんがゆく!』(アスペクト・1365円)。
2000年7月から、2001年7月までの1年間に起こった事件を、鬼畜なお二人が(^^)言い放題に論ずるというもの。
でも実はこの手の会話、酔った勢いであちこちの居酒屋じゃ誰でもが言ってるレベルのことなんだよねえ。いや、だから珍しくもなんともないと言いたいわけじゃなくて、こんな誰でもが感じることすら、出版物としては出しにくくなっている状況、日本人を「偽善」の中に閉じこめて現実逃避させようという風潮が蔓延していることに対して、なんとも腹立たしい思いをしているのである。
「17歳どもは『こんな平和でだらけた世の中なんか、何十年生きていたってもう大したことも起きやしない。自分で犯罪でも犯すくらいしか、刺激的なことなんかないんだー』とか妄想していたんだろうが、ちゃあんとガマンしていれば、米国同時多発テロのようなステキなものも見られ、日本もテロの標的になるかアメリカの報復戦争に巻きこまれるかというスリリングな経験をすることができるんだから、あせってはいけないのである」
内藤泰弘の『トライガン』を読んで、ビデオ屋を爆破した17歳についての唐沢さんの言葉だが、さて、これを「不謹慎」と本気で怒る人間が現実にいるのである。
いわく、「テロではたくさんの無辜の人間が死んでいるのに、その死を悼まず、ショーでも見るように楽しむのは人間としてどうか」とか。
どうかもなにも、アンタも「ショー」として見てるからそんな発言が出るんじゃねーか。自分の痛みとして感じるんだったらさっさとニューヨーク行って、瓦礫一つでも取ってこんかい。
戦争の恐怖は、ヒトの命が失われるからではなく、人間の意志が一つの線にまとめられて、他の意見が認められなくなる点にある。それはヒトを心から殺していることに他ならない。
「ショーとして見るな」とか「人間として」とか言ってる本人は、自分が戦争屋どもと同じ「他人を自分の意志で支配したい」と考えてるってことについて全く無自覚なのである。
彼らは、自分を「善人」側に置くことによって、「悪人」を糾弾することができるようになったと自己暗示をかけているのである。恐怖政治を行った皇帝が、自らを「天子」と呼んだように、「強権を発動する」資格を手に入れた気になっているのだ。
私はあのテロ事件が起こった時に、この日記で、「対岸の火事を決めこんどけ、哀悼の意だって表明する必要はない」と書いた。
実際、「死んだ人間に届くはずもない哀悼の念を、巷で表明する」ことに、「自己満足」以外のなんの意味があるか。それは、「おお、すげえコトやってくれたな」と楽しんで見たり、「別に私に関係ないしい」と知らんぷりを決めこむエゴイズムと、なんの違いもない行為なのである。
もっとキツイことを言えば、「死んだヒトを悲しむ気持ちを表しとかないと、人非人ってコトでサベツされる」という保身のためにやってることであろう。本気でやってるなら、自分の偽善性に気付いてないただのバカだ。
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11月26日(月)
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