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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■野だいこ敬語/『源氏物語』第壱巻「桐壷」(江川達也)ほか
別に高橋尚子のファンってわけじゃないが、実録マンガの陥りやすい事実の誇張は比較的少ないような印象……というより、どうしてこれ買ったかっていうと、この手のマンガにはありがちな「最初の意図と違った展開になった」って結果にならなかった珍しい例だからなんだね。
つまり、「世界一の○○を目指す少女」とかいうのを“同時進行”で追いかけるドキュメンタリーってよくあるけど、世の中そううまく行くもんじゃない、プレッシャーに負けたりして、「がんばったけどダメでした」で、なんともあと味の悪いオチをつける場合が多いのだ。それまで、「この子はきっと世界の頂点を極める!」なんてぶち上げてたのがへなへなへなと萎んじゃうのね。
映画で倉本聰の『時計』ってのがあったけど、あれなんか悲惨なもので、主演の中島朋子にプロスケーター目指させたけど、ダメだったんで挫折の映画にしてしまっていた。かと言って観客はそんなんに感動はできんがね。
あと、随分昔『風吹ジュン物語』ってマンガがあったが、あれなんか掲載された直後に本人のスキャンダルがバレて、マンガの中で「清純派」と書かれてたのが空々しくなっちゃったことがある。
ことほどさように、実録モノってのはドラマにしにくいのだ。というか、殆どの実録モノが数年経つとヘタレてしまう。
……しかし、高橋尚子はやっちゃったのだよ。
ご承知の通り、ベルリンマラソンで本当に世界記録を塗り替えてしまった。
つまりこのマンガ、“たとえフィクションが混じっていたとしても”結果的に、本当に実録として認められるマンガになっちゃったのである。
マンガだから主役の尚子、実物よりもかわいく描いてあるんだが、そういうカリカチュアも含めて。
ベルリンマラソンで一人取り残される夢を見る、なんて、いかにもツクリっぽいんだけどなあ。もしかしたら、このマンガ、史上初めての「色褪せない実録漫画」になっちゃうかもしれないのである。
マンガ、紫式部原作・江川達也漫画『源氏物語』第壱巻「桐壷」(集英社・980円)。
意外なことに、これまでの『源氏』マンガ化の中では、圧倒的に原作に「忠実」である。とゆーか、これまでのマンガが大和和紀も長谷川法世もヘタレとしか言いようがなかった出来だったんだが。
あとがき対談で大塚ひかりとも話しているが、これまでのマンガだけでなく、数々の訳本、谷崎も与謝野も円地も、当時の風俗・文化で、「紫式部が、当時としてはあまりに常識的なことなので、あえて書く必要がなかった」ことについては一切触れられていないのである(ちょっと注をつける程度)。
それがまあ、エッチやシモの方面に傾いてはいるものの、帝の寵愛を受けることがまさしく当時の女にとっては「天上の喜び」であったことや、清涼殿での営みが、他の女御・更衣たちに筒抜けであったろうこともちゃんと明記してある。
……学校の教師って、こんなことは教えないもんなあ。もっとも、原作に忠実過ぎるあまり、くどいとこまでしっかり訳してしまっていて、現代の我々にとってはどうにも感興を殺ぐ描写まで延々と描いてしまっている。
もひとつ言えば、当時の女性の衣装の構造から判断して、男女の交合は既に正常位が主体であったと思われる(十二単は着物としてだけでなく簡易ベッドとしても機能していた。当然前開きで、そのまま後ろに倒れるのである)。
だから源氏と葵上のSEXを、葵上の騎乗位で描いたり、ましてやフェラチオまでさせてしまうのは考証的にどんなもんだろう。男女の道を葵上がリードして源氏に教えたという考証は多分正しいが、これはやり過ぎというものだ。この手のマンガについて言えば、一つウソが混じると、ほかのところまでデタラメに思われかねないものなのである。考証は慎重に行わなければならない。
げれどやっぱり江川さんて「教師」だったんだなあ。これ、本気で読者に「真の古典」を教えなければ、という使命感に燃えて描かれているのである。その押しつけがましさを「トンデモ」と捉えることができれば、この『源氏』、滅法面白い。少なくとも橋本治の『桃尻語訳 枕草子』以来の“マットウな”古典の現代語訳であることは明記しておいていいと思う。
10月22日(月)
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