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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■裸という名の虚構/『アイドルが脱いだ理由(わけ)』(宝泉薫)ほか
 ヌード写真ではない、「アイドルヌード」というものはなんだったのか(これが過去形であることが重要)、80年代、90年代のサブカルチャーの重要な一端として捉えようとする著者の視点には大いに共感を感じる。
 女性は気を悪くするだろうが、「アイドル」というのは、たとえ脱ごうが脱ぐまいが、男にとっては「性の愛玩物」なのだ。
 その是非はともかく、なぜあの時代の若者たちが、ただのヌード写真ではなく「アイドルヌード」を欲したのか(あるいは欲さなかったのか)というのは、例えば「なぜオタクが美少女アニメに萌えたのか」というテーマとも密接な関係があり、戦後日本の文化的土壌を分析するための極めて重要な課題なのだ。
 ……思うに、戦後日本の最大のタブーってのは、天皇制の問題なんかではなくて、男性がどうして女性に性欲を感じるのかってことを秘匿してきたってことにあるんじゃないだろうか。
 男が女に性欲を抱くのは本能だと思ってる人が、下手すりゃ男の中にもいるだろう。でもそれは真っ赤なウソ。実は、男が性欲を燃え立たせるのは、その女体が持っている「物語」に対してなのだ。
 ……「男はみんな巨乳好き」とか思ってる女性の方、多くありませんか? 確かに男が母親から生まれた存在である以上、「女体に母を求める物語」が、男に受け入れられやすいものであることは事実です。でも、男がその内面で求めている物語はそれだけじゃないんですよ。
 いみじくも、かつてのアイドル、南野陽子は『寒椿』でヌードを披露した時、「私ってムネが薄いから、薄幸そうに見えるでしょ?」と言ってのけたが、つまり、「薄い胸」であっても、そこに何らかの物語を見出すことができれば、男は奮い立つのだ。
 80年代以降、一つのブームになったと言ってもいい宮尾登美子原作の「女郎もの」映画では、その女優の肉体について、いささかアザトイまでの「肉の振り分け」がなされていた。例えばそれは、エネルギッシュなキャラクターには肉感的な女優を配し(西川峰子やかたせ莉乃など)、耐え忍び病気に犯されるキャラは痩身の女優を配する(夏目雅子や真行寺君枝)、というように。
 だから逆に、肉感的な十朱幸代が薄幸な女性を演じても今一つ説得力がなかったりもしたのだ。

 もともと、アイドルには「アイドル」という「物語」が既に付与されていたのだ。そして、その物語には、「アイドルはヌードにならない」という物語が含まれていた。それは、大人のヌードではあまりに刺激的過ぎる少年たちに与えられていた、ささやかな性の解放だったと言える。
 ……実際、小学生のころの私なんか、スカートめくりまではしててもパンツ脱がそうとまでは思いもしてなかったし。……おっと、脱線(笑)。
 しかし、少年は大人になる。にもかかわらず、アイドルたちが脱がないままでいたらどうなるか。もはや、アイドルと大人になった少年たちとの間をつなぐ物語は存在しなくなる。アイドルたちが脱いでいったということは、「物語を変質させ、ファンとの間に、新たな共通の物語を持とうとした」ということを意味する。……失敗した例がたいていだったけれども。
 少年が大人になる前に、アイドルのほうが一足早く「変質」してしまった場合、少年は「置いて行かれる」。それが「アイドルに裏切られた」という心理になるわけだ。だから、その「変質」をどう受容してオトナになるか、というのも、当時の我々に課せられていた「性の通過儀礼」だったのだ。

 いくつかの「通過儀礼」を通じて、少年は大人になる。しかし、それは、「アイドル」を、「性の消耗品」として見るクセを我々が身につけたことにほかならない。何しろ、アイドルは次から次へと量産されていたからである。
 それは、言わば「神」として崇めていた偶像を自分のいる地べたにまで引き摺り下ろし、蹂躙する快楽なのであるが、その「快楽」こそが「大人になる」ということだったのだ。

 こうなるともうよりどりみどり、芸能界は妄想少年のハーレムと化す。
 初め、「アイドルに裏切られた」と嘆いていたファンも、すぐに「代わり」を見つけた。

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09月06日(木)
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