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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■森田雄三withイッセー尾形の『イッセー尾形のつくり方2007in博多』ワークショップ1
 ここで休憩、さっきからの腹痛が我慢ができなくなっていたので、慌ててトイレに走る。けれども予測どおりと言うか、便意はあるのに便が出ない。初手からもうストレスに負けている。
 諦めてロビーに戻ると、これも恒例の弁当が配布されている。しばし、ロビーで仲間たちと談笑。
 新人さんの何人かにも声をかけてみる。別に先輩ヅラをしたいわけではない、というか、あんなにボロボロでは、とても威張れたものではない。それでも「厳しいし胃が痛くなるけれど、また絶対に来たくなりますから。一緒に舞台に立ちましょう」なんてことを言っているのである。もう完全に布教活動である(笑)。

 しげ。は、昼間たらふく食っているので、弁当を一口か二口くらいしか食べられない。
 残りは私が平らげるしかないが、私だって腹は満タンである。水で流し込むしかないかと、しげ。に「お茶を持ってきて」と頼む。
ところがこれがペットボトルを置いてあるカウンターに行ったら行ったきりで、そこにいた人たちとお喋りを始めてなかなか戻ってこない。ようやく戻ってきたかと思ったら、紙コップを差し出して「コーラ注いで来たよ」と言う。人の話、聞いてない。ぶっきらぼうに紙コップを受け取ると、それを見た森田先生が「夫婦だねえ」と仰る。
 「黙ってコーラを受け取って、奥さんを見もしなかったでしょ。これがドラマだと、夫に何かセリフを喋らせちゃうのね。そうじゃなくて、今のが『リアリティ』なのね」
 結局、休憩時間も講義である(笑)。


 夜の部。
 帰られた方あり、新しく来られた方あり。
やはり最初はワークショップの説明から。
 「次は『怒ってるけど怒ってるように見えない人』をやって。そういう人って、いるでしょ?」
 確かに。そういう人は私の周りにもたくさんいる。
 「『怒られてるけどとぼけている人』をやってみて」
そういう人はもっとたくさんいる(笑)。なるほど、これが「リアリティ」である。
この両者を組み合わせてみると、見事にドラマが生まれる。何気ない、フツーの風景なのに、それが妙におかしい。
 日常を舞台に上げることを、森田先生は「ポップアート」と呼んだ。「日常のことって、人は気付かないのね。見てるけれども見えてない。それを見ようというのが『イッセー尾形のつくり方』なの。赤瀬川原平さんの『路上観察』なんかもそれで、日常の何でもないものをこう(目の前に物を置く仕草)取り上げてここに置くと、それがアートになるのね。何かを作るんじゃなくて、既にあるもの、フツーのものの価値を見つけましょう」
 何を取り上げてよいか分からなくてとまどう人が増える。
 「動いちゃダメよ。動いたら途端にそれは芝居になるからね。」
 森田先生の説明が長くなる。佳境に入った感じで、円陣の流れが滞るようになる。
 けれども、私たちの演技は着実に「濃く」なりつつあるのだ。 


帰りがけに、妻が質問する。
「責任転嫁する人で××を演じたやん? そしたら森田さんが『その人は悪い人ね』っ言ったやん。××って悪い人?」
「間違いなく悪いひとやね。だって、××××、××××、××××××××××やん」
「ああそうか」
悪口を言うのもストレスの発散である。

04月14日(土)
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