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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■名探偵Lの軌跡/映画『手紙』
 > 出演は、兄が殺人者だという現実にもがき苦しむ主人公に山田孝之、弟を思うあまり強盗殺人を犯してしまった兄に玉山鉄二、そして主人公に大きな愛を傾ける工場の同僚役に沢尻エリカと、まさに若手実力派揃い。
 > なかでも出場こそ少ないが、真に迫った玉山の演技が強烈な印象を残す。映画版には、原作になかった感動のラストシーンが用意されているのでお楽しみに!

 私は東野圭吾の小説は、それほど高く買ってはいないのだが(宮部みゆき程度がそれよりちょっと下)、なぜか映画化率・ドラマ化率が高いことに疑問を抱いている。どれもこれも、設定はかなりシリアスなのに、結末のつけ方がいずれも甘いからだ。
 原作は未読なので、あのラストシーンが原作に比べて感動的なのかどうか分からない。しかし少なくとも、これを「泣ける映画」と言うのなら、日本人の涙腺はだだ漏れ状態で、どこの映画館も床が水浸しで困った事態になることだろう。それくらい、この映画の「泣かせ力」は白々しい。

 そもそも今時、「貧乏」をテーマにした物語自体にリアリティがない。
 兄が弟の進学のために泥棒を働くというのがただの馬鹿で同情の余地がないし、うっかり出くわしたその家の老婆を誤って刺し殺す展開も取ってつけたようで、脚本家の頭の悪さを感じるばかりである。
 ましてや、兄が逃げ遅れたわけが、「甘栗を見つけてそれを弟に持っていってやろうと思ったため(でも実は弟は甘栗が好きではなくて、それは兄の勘違いだった)」というのは、観客を笑わせたいのかと訝るしかない。確かに私は失笑した。
そこまでするほどの貧乏だったかと言うと、兄が服役したあと、弟は独りで自活できるようになるし、もともとの設定自体が矛盾だらけで、ドラマになかなか乗れない。兄弟を取り巻く環境の深刻さが少しも伝わってこないのである。

 それから「犯罪者の兄を持った」弟の受難の日々が始まるのだが、これも描写がストレートすぎて、かえって切実感に乏しい。なにしろ弟が転職する先々で必ずチクリ屋が存在していて、そのたびに弟は兄を恨む、という流れが繰り返されるのである。いくら現代が情報化社会とは言え、そこまで情報通のヒマ人がどこにでもいるというのは主人公を追いつめるのが目的とは言え、「作り過ぎ」の謗りを受けても仕方がない。
 まともな脚本家なら、弟の恐怖を、実際に追われていく物理的な描写よりも、「いつ素性がばれるか」という心理的な表現の方に絞って描くだろうし、実際の差別はもっと陰険で巧妙である。親切めかして実はじわじわと真綿で締められるような逼塞感を与えていくもので、だから簡単には抵抗できないものなのだ。ストレートな差別なんて、差別と分かるだけ、抵抗のしようもある。抵抗できない差別が実は一番厄介なのだが、この映画はそんな繊細で重苦しい描写は極力避けて通っている。
 切実感が弱い分、主人公の苛立ちは、ただの「甘え」にしか観客には映らない。手を差し伸べる人々の行為を袖にするのも、ただの馬鹿にしか映らず、共感も同情も覚えない。
 だからこれでどうして観客が泣けるのか疑問に思うのだが、劇場ではあっちでもこっちでも啜り泣きが聞こえるのである。まあ、「泣ける映画」だと聞いて、泣きたい気分の人間が観れば、この程度の三文ドラマでも充分に泣けるのだろう。『ALWAYS 三丁目の夕日』と言い、日本人の感動の質もすっかり安っぽくなってしまったものだ。

 どこぞのテレビ番組で、沢尻エリカのナチュラルな演技が素晴らしいと監督が絶賛していたのを見たが、特に目立ったよさというものもない。同世代の女優の中でも際立った美人なだけに、使い勝手がかえって難しいのはシロウトの私にも分かるが、食堂の給仕時代、美容師時代、主婦の時代と、三段階の変化を見せるうち、最も魅力的だったのは一番「汚されて」いた給仕時代だった。
 時間が経つに連れて魅力が半減して行くというのは、ヒロインを美しく見せることに監督が不得手であることを露呈してしまっているということである。

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12月01日(金)
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