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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■年老いていく実感/『営業ものがたり』(西原理恵子)
死体は語る。「家族を食べさせたかった」。 それは少女の願いと同じものだった。
少女は大人になる。大人になって、子供が生まれる。少女は子供に語りかける。
「あなたは、あのときの兵隊さんでしょ? 私にはわかっているの」……。
物語はまだ終わらない。終わらない物語が示される。それは一つの輪廻の輪であり、だからこそこれが『火の鳥』にオマージュを捧げた物語であることは見当がつくし、『鉄腕アトム』もまた『火の鳥』の一エピソードになるはずのものであったとすれば、まさしく本作は『アトム』と『火の鳥』のミッシング・リンクを繋ぐ機能を有していると言えるのである。西原理恵子もまた、「手塚治虫の子」であったことを示す貴重な作品だ。
本短編集には『ぼくんち』の番外編も収録されている。乱雑マンガの合間に時折発表されるサイバラさんの抒情マンガに、「あざとさ」を感じる読者もいるようだが、西原さんの精神的基盤がどこにあるかを考えた時、その「あざとさ」を単に「泣かせるための技巧」と言ってのみ裁断できないことははっきりしているのではなかろうか。
少なくとも西原さんは、自分の過去を顧みて、その底辺の生活をモデルにしたマンガを描きながらも、自分が本当に「不幸」だと思ったことは一度もないはずだ。「お涙頂戴」で『ぼくんち』や『ゆんぼくん』を描いてきたことはない、と思う(ご本人に質問したら、韜晦して「あれは『お涙頂戴よ』と仰るかもしれないが)。
読者がこの『うつくしいのはら』をテクニックとしてしか読めないのであれば、そちらの方が「不幸」なことであると思う。
アトムはロボットである。ロボットであるアトムは、「いつになったら、ロボット同士、争わずにすむ未来が来るんでしょうか」と慨嘆した。これはもちろんロボットにはある寓意が込められているのであって、人間の中にも人間に奉仕することを運命付けられている「人間」がいるということを示唆している。言わずもがなであろうが、それが「兵士」なのだ。
世界の歴史上、「兵士」が存在しなかった時代はない。人間の生が繰り返されることと、争いの歴史は等価であった。だからアトムは「いつになったら」と口にするしかなかった。永遠の逡巡が、『地上最大のロボット』の裏テーマとしてある。西原さんはそこに着目したのだ。そして、手塚治虫を語る場合にもう一つ、見逃せないモチーフをそこに付け加えた。
西原さんの「兵士」は語る。
「ぼくたちはいつになったら、字をおぼえて、商売をして、人にものをもらわずに、生きていけるの?」
この疑問は誰に向かって投げかけられているか。「母」にである。運命とは何であるか、人間の宿命とは何であるか、答えは、いつの時代でも、常に、母によって語られるのである。
もうこれ以上、説明する必要はないだろう。『うつくしいのはら』は、西原理恵子によるマンガで描かれた「手塚治虫論」なのである。
11月07日(月)
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