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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■コメとライスは別のもの/『アキバ署! AKIHABARA POLLICE-STATION』01(瀬尾浩史)
しげが「今度の米、パサパサやろ」と言う。
確かに、これまでの米はかなりモチモチとしていて、水の加減を間違えるとべちゃべちゃになってしまっていた。弁当に詰めてもらうと、昼時になってフタを開けようとすると、水分が蒸発して収縮したせいだろう、押しても引いてもビクともしないくらいであったのだが、最近は比較的開けやすくなっていた。味は確かにさほど甘くなく、「これは米です」と主張しているだけという感じがする。
「中国の米なんで安かったんよ」と言うので、ああ、舌に合わないのはそのせいか、と思ったが、同時に「安全性は大丈夫かなあ」と思ってしまったのは、やはり中国に対する不信感をかなり刷り込まれているのである。
コメの自由化は結局、他国の文化への偏見を増大させただけのように思う。日本のコメにだって美味いコメ不味いコメはあるが、これ以下はちょっとという下限が作られてしまっている。稗と粟だけ食ってた昔を思い出せったって、そんな時代を知ってる人間が絶滅してしまってるんだから、そんなのはただの精神論にしかなっていない。贅沢だと言われようが、日本人は日本のコメしか食わないのである。
だから、中国米を好んで食べる日本人がいれば、逆に偏見の目で見られることもあると思う。そういう偏見はよくないと言われても、どの国にも固有の文化はあって、それ自体は悪でも何でもないのだが、そこにやはり「壁」は存在しているのだから、その壁を無理やり壊そうとすれば、何らかの諍いが起きるのは必然なのである。
「変えていったほうがいいしきたり」と「触れちゃいけねえしきたり」とを識別することはなかなか困難なことだけれども、自給自足の面から考えても、日本のコメ文化を簡単に壊しちゃいけないよな、と思うのである。
とりあえず次から中国米はもういいや。
『1リットルの涙』第五話。
亜也(沢尻エリカ)の病気のことが、ついに妹や弟にも明かされる。伝えるのがちょっと遅すぎたんじゃないかと思うが、家族に真実を伝えるものかどうか逡巡している両親の心の葛藤を描いているようでいて、実は単にドラマ展開の都合で、ここまで「引いて」ただけってのが見えるから、どうにも胸糞が悪い。
亜也に身障者手帳を取らせるかどうかで一悶着あるのも、どうにも薄っぺらい。母親の潮香(薬師丸ひろ子)に向かって、父親の瑞生(陣内孝則)が「国の世話にはならねえ」「娘にレッテルを貼りたいのか」と言って激高するのはいかにもわざとらしく、「作りすぎ」である。仮に内心、そのように思っていたとしても、娘の病状が日一日と悪くなっていく様子を見ていながら、父親としてなおもそのように体裁に拘るようなことがありえるのかどうか。陣内孝則をキャスティングした時点で間違いだという考え方もあるかもしれんが(笑)。
脚本家はもちろん「善意」からこのドラマを書いているのだろう。しかし善意の作品というのは往々にして押し付けがましく、説教臭くなりがちである。あるいはその説教の青臭さゆえに時には「お笑い」と化してしまう場合もある。
薬師丸ひろ子が身障者手帳の理念を「すべての身体障害者は自ら進んでその障害を克服し、その有する能力を活用することにより、社会経済活動に参加できるように努めなければならない」と説明するシーンなどは、感動的なシーンであるにもかかわらず、「そんなセリフを暗唱できるお前は何者か」という不自然さの方に笑ってしまうのである。
『鬼嫁日記』に『タモリのジャポニカロゴス』を見た後、録画しておいた、『ドラマコンプレックス』版の『理由』を見る。寺田農をレポーターにして、報道ニュース番組仕立てにしたのは面白い編集だったが、オリジナル版を見ていない人には「そっちの方を見てよ」と言いたくなる仕上がりである。基本的に大林宣彦監督って、自分の「思い付き」に振り回されるタイプの人で、自分の演出の効果までは考えずに撮ってる人だから、あまり「巨匠」なんて呼んじゃいけないと思うのである。
マンガ、瀬尾浩史『アキバ署! AKIHABARA POLLICE-STATION』01(講談社)。
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11月08日(火)
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