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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■人はいかにして欺かれるか/ドラマ『相棒』〜シーズンW〜スタートスペシャル「閣下の城」
 保守的と言うよりは、頭でっかちな親は決まってこの傲慢なセリフを口にするのだが、親が何と言おうと、子供は読みたいものは読むものである。グータロウ君ちの子供が『神様ゲーム』を読むかどうかは分からないけれども、世の中にはこれを読んで「何か」を感じる子供は確実にいる。別にトラウマにならずに「何か」を考える子供も必ず現れる。
 グータロウ君が『神様ゲーム』をまるで「読めていない」のは、「解釈しよう」とネットの感想をあさった時点で大間違いなのだが(この時点で自分で考えることを放棄している)、更にはこれを「メタ・ミステリ」と言ってることでその知識の薄さを露呈してしまっている。もう何をかいわんやである。
 多分、間違いないと思うが、彼は意味も分からないでこの言葉を使っているのだ。虚構を虚構として認知することから現実の虚構性までを暴くのがメタの概念だとするならば、『神様ゲーム』はそんな複雑な手法は取っていない。どちらかと言えば、これは笠井潔の言う「アンチ・ミステリ」と見た方が妥当だ。江戸川乱歩の『陰獣』も、中井英夫の『虚無への供物』も、「割り切れないもの」が最後に残った。それはまさに賢しらな人間の知性をあざ笑い、全てが解明されないと気がすまない頭でっかちなミステリファンを嘲笑う「反ミステリ」としてのミステリなのである。
 情けない話なのだが、グータロウ君は、単に「オチがよく分からなかったから、これはメタ・ミステリなんだろう」と思ったに過ぎないようだ(そう思ってる読者も結構いるようである)。これじゃあ、アタマの悪いヤンキーがよく言う「俺がわかんないって思ったから勉強なんて必要ないんだよ」ってリクツと同じで、ただの脊髄反射である。ミヤベ先生の「本を読まない子供は馬鹿な大人になりますよ」という言葉をもちっと真剣に考えてみたらどうか。

 念のために言っておくが、グータロウ君を貶しているようであるが、これは「ミステリ読み」「本読み」としてはであって、人として私が足元にも及ばないことは言を俟たない。
 例えば、もしも私が、グータロウ君から金をせびり取ろうと思ったら簡単である。日記の更新をやめる。しばらくしたら彼から電話が掛かってくる。私はわざと出ないで、女房に出てもらう。「どうしたフジワラは?」。女房はためらいがちに切り出す。「言っちゃいけないって言われてるんですけど、実はまた入院してて……。今度は長くなりそうなんです。半年か一年、もしかしたらもっとかも」。これで簡単に騙せてしまうだろう。「少ないけどいくらか見舞いを送るよ」と言いながら、大枚はたいて書留寄こすに決まっているのだ。
 「トモダチ」だということを利用すれば、こういう騙しは簡単にできる。重要なのは「トモダチ」だということを押し付けがましく語るんじゃなくて、あくまで「つながり」を示唆するに留めることである。鈴木君だって「トモダチ」だということを利用して芳雄君を信用させている。そして自分からは何も要求はしていない。そこがうまいのである。
 私はこういう悪辣な人間なので、グータロウ君との人間の格差というものは歴然としているのである。こんな外道に関わったのはグータロウ君の身の不運ではあるが、世の中、悪人にいかに対処するか、訓練する必要もあろう。『神様ゲーム』も、芳雄君がいかに騙されて行くか、その心理の過程を追って行けば、現実世界で同じ轍を踏まないための訓練になると思う。


 晩飯に、スパゲティを作っていたときに、ガスコンロの火が勢いよく点いて、右手の甲の毛が焼けた。ちょっとチリチリになって、一部分だけミニアフロである。匂いをかいだら、毛の焼けるような匂いがしたが、毛が焼けているのだから毛が焼けた匂いがするのは当たり前なのである。


 ドラマ『相棒』〜シーズンW〜スタートスペシャル「閣下の城」。
 時々見てはいたんだけれど、なかなか日記の中で触れることはできなかった。昨今のミステリドラマの中では、群を抜いてキャラクターが「立って」いるので、シリーズの再開は嬉しい。水谷豊がこんなに上手い役者になるとはなあ。『バンパイヤ』のころには思いもしなかった……ってもう何十年前だよ。


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10月12日(水)
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