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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■終わらない歌を歌おう/映画『リンダ リンダ リンダ』
 鴻上尚史の『リンダリンダ』の失敗は、初めは「勢い」だけだった物語が、次第に世の中の不正とか矛盾とか不条理に対する「怒り」にスライドされていくその「思想性」にあったと言える。そんな「思想」はブルーハーツには最も縁遠いものだ。そこが鴻上尚史にはまるで理解できていない。

 「ブルーハーツをやろう」、ここまでは実にリアルな展開である。
 そして、これからがこの映画の中で唯一「虚構」と言える設定が持ち込まれることになる。
 残るメンバーの一人、ボーカルに「韓国人留学生」のソン・ミヘ(ペ・ドゥナ)が無理やり加入させられるのだ。
 その過程は、この映画で最もユーモラスなシーンの一つで、恵たちは、日本語のよく分からない彼女に「ハイ、ハイ」と言わせて(言う方も調子よすぎだが)、殆ど強引に仲間に引き入れているのである。恵は意地になっているから、ソンがブルーハーツを歌えるかどうかなんてとこまで考えていない。いや、そもそも拒絶される可能性すらまともに考えてはいない。
 けれど、『リンダリンダ』のカセットテープを聞いたソンの頬を涙が伝ったところから、促成バンド「パーランマウム(韓国語で「青い心」)」は、本格的に動き始めるのである。文化祭最終日まで、わずか三日……。
 
 しかし、「作りものめいた展開」はせいぜいこのあたりまでで、あとの展開はやはり非ドラマチックなものになる。
 響子が練習に遅れて恵がむかつくとか、徹夜で練習し過ぎて居眠りこいて文化祭に遅刻してしまうとか、そういう「ありうるような」トラブルはいくつかあるが、それで友達同士の仲が壊れるとかいうこともないし、仲間外れになった凛子が復讐をたくらむとかそんな少女マンガ的大映ドラマ的展開もない。
 ライバルバンドも出てこないし、ソンがやっぱり歌えないと泣きじゃくるとか、「韓国人が日本語の歌を歌うな!」とほかの韓国人が乱入してくるような『チルソクの夏』的展開もない。
 ただ、みんなで練習して、初めは全然形にならなかったのがいい感じになってきて、最後に『リンダリンダ』と『終わらない歌』を熱唱して終わる。殆ど癖がないと言ってもいい。それだけの映画なのに、やっぱり最後は盛り上がるのだ。それはいったいなぜなのだろう。
 
 ちりばめられた小さなギャグの可愛らしさ、それが物語をダレさせることを防いでいるということもある。
 他人の恋愛にはすぐ首を突っ込みたがるソンが、いきなりコクられてキョトンとし、全く意に介しないシーンなど、画面から漂ってくる「間抜け感」は、そういうギャグの分かる人にはもう欣喜雀躍したいところだろう。ソンを演じたペ・ドゥナ、実はもう高校生なんておトシではないのだが、こういう高校生のぽやーっとした雰囲気を天然じゃないのかという感じで見事に演じている。ギャグ担当はもっぱら彼女の独擅場だ。
 もちろん、ラストの彼女の熱唱、伸びやかで癖のない声、その素晴らしさ。これ自体がドラマであることは言を待たないだろう。
 しかし、やはり歌われる曲が「ブルーハーツであること」これが最大の魅力であると見るしかないのではないか。ブルーハーツ自体が「熱い」のだから、それまでのドラマがいかにも虚構で、非リアルな世界であっては、物語と歌が相克の関係になってしまう。「リアル」は、ブルーハーツを「ハレ」の舞台とするための必要条件であったのだ。
 
 映画は文化祭最後のステージの熱狂で終わる。
 それを見ている我々にも感動が押し寄せてくるのは、そこに、我々がかつて経験してきた「文化祭前&文化祭期間中」のあの何とも言えない濃密な空間が再現されているからだ(現在高校生である人たちにとっては、まさに映画と現実とがシンクロして感じられるだろう)。
 そしてその「濃密さ」にはブルーハーツの無意味なくらいの「熱さ」が、似合い過ぎるほどに似合っているのである。
 私はカラオケで一度もブルーハーツを歌ったことがないのだが、この映画を見て初めて『リンダリンダ』を、『終わらない歌』を歌いたくなった。それは、「無意味な熱さ」への共感なのである。

08月21日(日)
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