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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■オタク道に女は要らない/『花も嵐も 女優・田中絹代の生涯』(古川薫)
「非オタクな人々」が、「オタクの恋」を見に行く動機は、「オタク」が明らかに現代人のステイタスの最下層に位置しているからだ。だから、いくらオタクが『電車男』でのオタクの描き方が問題だと批判をしたところで意味はない。「オタク=コミュニケーション不全」であり、「オタク=恋もできない半端者」という刷り込みが前提にあるからこそ、ああいう映画が作られたのだ。その刷り込みは当人が無自覚なうちに行われているので、オタクがいくら「オタクをバカにするな!」と叫んだところで、一般のお客さんは「え? 別にバカになんてしてないよ」とキョトンとするだけである。人間の認識は常に実態よりも自分にとって都合のよいイメージの方を優先するものなのだ。
まあ、オタクがバカにされないためには、結局は電車男君がやったように「自分も非オタクの仲間に入る=差別される側から差別する側に行く」のが一番の方法であるわけだが、それを潔しとしないオタク君は、たとえ女の子からキモイとかイケてないとか言われようとも、孤高を保ち、女にモテることなんて考えないことであろう。「オタク道に女は要らない」と覚悟することである。「オタクだって人並みの幸せはほしいんだ!」とか言ってるやつは修行が足りない。だいたい「女よりも楽しいこと」があったからこそ、オタクになったんじゃないのか。電車男はオタクの希望の星などではない。オタクを堕落へと誘惑するアクマの甘い実なのである。
夜、7時半より、ぽんプラザホールで、FPAPの主催による「第2回制作者勉強会」にしげと一緒に参加する。
演劇というとどうしても役者ないしは脚本家・演出家にスポットが当たってしまうが、実際に「舞台にかける」までの段取りを組むのは製作者の仕事である。ところが地方劇団やシロウト劇団ってやつは、この「制作」についての認識が甘かったりおろそかになってるところがやたらと多い。
その結果どうなっちゃうかというと、役者が集まらなかったり集まっても喧嘩してやめたり劇場側と打ち合わせが不十分でもめたりチラシやパンフレットが間に合わなかったり公演当日になって「すみません、今日の公演は中止です」なんてことになってしまうのである。
まあ、そういうことを回避しようってことでの勉強会だったのであるが、しげから事前に「そういう会」であることを詳しくは聞かされていず、「今度の芝居の企画書を書いてよ」と言われて、何のことやらよく分からないままに「見所」とか「あらすじ」とかを書いたものを適当にでっち上げて渡したところ、なんとそれを参加者全員で俎上に上げて「企画書としていかがなものか」と検討されてしまうという会であったのだった。
……だったらそう先に言っといてくれよ。それだったらもちっとマシなもの書いたのに。
と後から思っても遅いのである。やれ「どこにどういう意図で出す企画書なのか」とか「具体的な資料が少ない」とか、当たり前の指摘をやたら受ける。まあ受け答えするのはしげだからいいけど。
ほかの議題は「チラシの作り方」とか「北九州演劇祭についての情報」とか、また各参加団体の公演のPRとか。どっちかっつーと、宣伝目的で来た人が多かったみたいね。
劇団「改・FREE’ズ+(カイ・フリーズプラス)」の堤さんもいらっしゃっていたのだが、しげとお喋りしていて、偶然にも高校が同じであることが分かった。しげの高校は北九州の方にあるので、福岡でこうして同窓の、しかも演劇関係者が知り合うと言うのはなかなか珍しい偶然である。こういうとき、人間ってホントに縁だよなあとしみじみ思うことである。
古川薫『花も嵐も 女優・田中絹代の生涯』(文春文庫)。
田中絹代が亡くなって、もう18年。もし生きていれば96歳。気が付けばもうすぐ生誕百年なのである。若い人たちにとって「名前も聞いたことがない」女優になってしまっているのは仕方のない現実ではある。現実ではあるが、本当にこの国の人間というのは文化とか伝統とか歴史とか言うものに背を向けて平気でいられるものなのだなあと今更ながらに嘆いても仕方のないことを嘆いている。脳のキャパ、自分で狭くして楽しいのかお前らと思うけれど、脳のキャパが狭いからそれも理解はできないのだろうな。
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08月03日(水)
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