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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■痺れた指で書いてます/『ボクを包む月の光 ―ぼく地球(タマ)次世代編―』1巻(日渡早紀)
 主人公の坂口亜梨子(ありす)には、自分がもともとはるか彼方の宇宙の人間であり、月にいて地球を観測しているという「前世」の記憶があったのだが、実は同じ記憶を共有する仲間が、ほかにも六名いたのである。物語はその「月の仲間」との邂逅、そしてかつて起きた仲間内のトラブルが、時を経て現代のこの東京でも繰り返されようとしているというサスペンスを描いたものであった。
 ところがこの「前世の仲間との邂逅」という設定が、一部のファンの間で「自分にも前世の仲間がいるかもしれない」という錯覚を生み出してしまったのだね。「○○という名前に聞き覚えのある人、コンタクトください」なんて投書がオカルト雑誌の『ムー』とかにどっと寄せられることになった(すぐに規制)。
 そのあまりの反響の大きさに、作者が「これはフィクションですから」と単行本等で但し書きをすることになり、またそれにファンが「夢を壊すな」と反駁するなど、作品外での騒動が偉く喧しい事態に陥ってしまった。
 世間の識者からよく「マンガやアニメばかり見てる子供は現実と虚構の区別がつかなくなる」と非難されることに対して、ファンやオタクは「そんな阿呆がそうそうおるかい」と反論していたものだったが、実際にこうして「虚構と現実の区別がつかない若者」が大挙して現れちゃったおかげで、「やっぱりマンガファンってバカじゃん」って言われるハメになってしまった。もちろんそのあとにあの「オウム事件」が起きてしまって、マンガ・アニメファンに対する世間の風当たりはいっそう強くなることになってしまったのである。
 つまり前作『ぼくタマ』は作者の意図に関わらず「オウムの前哨」的な「事件」でもあり、キャラクターへの入れ込み度の過激な女の子たちを排出させた点で現代の腐女子どもを増殖させる温床ともなったマンガであり、まあなんつーか、いいマンガだったのになかなか素直に評価しにくかった作品でもあったのである。

 前置きが長くなったが、いろんなトラブルを巻き起こしつつも、前作は実にうまい形で「着地」をしたと思う。あれだけ人と人とが憎しみ合い裏切り合い、狂気すらはらみつつ、ハッピーエンドが訪れるとはちょっと予測していなかった。完結巻を読み終わったときには、何か積年のストレスが一気に晴れちゃったような爽快感を味わったものだった。
 だからこの作品だって、「続編」は「蛇足」と言えば蛇足なのである。前作できちんと始末がついていないキャラクターに未来路がいたが、無理に後日談を描かなければいけないものでもない。どんな物語でも一応の終わりは来るのだから、登場人物が死なない限り、「その後」は読者の想像に任せた方が本当はよいのである。
 ところが作者自身も予期せぬいきさつで「続編」は再開されることになった。
 小林輪・23歳。小林亜梨子・32歳。二人の子供、蓮(れん)・7歳。……えーっと、計算すると輪は16歳でパパかよ。結婚できる年じゃねーじゃん(多分二年間待ったのだろう)、でも三人の幸せそうな姿を見ると、ちゃんと「ハッピーエンド」は続いていたのだなあとホッとする。となると、普通「ドラマ」は生じないはずなので、どうしてもそこで波風を立てるキャラクターが必要になってくるわけだ。
 それがやっぱりというか待ってましたというか、永遠のやんちゃ坊主・紫苑なわけだね。叶えられなかった自分と木蓮と、そしてその子の生活を転生した三人に見出してちょっかいをかけてくるわけだ。でも、前作のようにまだ子供だった輪の精神を引き裂くまでには至らない。ちゃんと輪を眠らせてその隙に体を乗っ取るという一番ありがちなやり口(笑)。これも前作の紫苑を知っているファンなら、「何て人間が丸く優しくなったんだろう!」と感動することだろう。……いや、前作知らない若い方、ホントに紫苑って、極悪非道の外道だったんですよ。でも人気は一番。なんで世の女性はワルにばかり憧れるかね。
 でも、いったんはハッピーエンドで終わってしまった物語だから、多少のトラブルが生じても、前作ほどの緊迫感はない。紫苑だって、親子二代に渡ってそのカラダを乗っ取りまくってるけれど、もはやかつての悪意はない。トラブルメーカーではあるがあくまで蓮の「守護天使」に納まっているのである。

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08月02日(火)
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