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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■久しぶりにトンデモさんの話題/『スケバン刑事』12巻(和田慎二/完結)
こないだから片っ端から小説、マンガを読みまくっているのだが、相変わらず日記にアップできているのはその本の一部である。指の痺れさえ治れば、まだもう少しスピードがアップできるのに、歯がゆいことである。数少ない読者の皆さんには更新遅いとかもっと書けというご不満もあろうかと思いますが、もう数年前とは病状が違ってますので、このくらいのペースでカンベンしてくださいな。
テレビ『ドラえもん』、今日は「ころばし屋」と「きこりの泉」、ナンセンスギャグモノの傑作二本立てである。作画は安定、演出もまあまあ、新シリーズに入って、スタッフもどうやら軌道に乗った感じである。オープニングに未だに歌が付かないのはそろそろ何とかしてほしいと思うが(女子十二楽坊が嫌いなわけではナイ)。
「ころばし屋」はもちろん『ゴルゴ13』とかのパロディであるが、途中、のび太ところばし屋の対決を西部劇の一騎打ちのイメージで描いて、のび太の特技を見せるあたりの演出が上手い。「きこりの泉」も、スネ夫がわざと新品のおもちゃを泉に捨てたら巨大ロボになって出てくるというオリジナル部分が、決して原作を損なうことなくうまく融合している。オチの「キレイなジャイアン」がどうなったのかという疑問は今回のリメイクでもやっぱり解消されなかったが、まあ、これはいいか。
総じて出来のいいエピソードが続いているので、この調子なら少なくとも数年は延命できそうではある。ただ、映画シリーズを続けていくのはもうどうかなあという気がしている。マンネリでもオーケーというか、あえてマンネリを楽しむのがテレビであるとすれば、映画は「お祭り」である。どうしても新しい要素、去年よりも何か一つ面白い要素が求められるものだ。いくら新しいファンが付いて新陳代謝が行われていると言っても、旧作をビデオで見返すことが容易である以上、飽きられるサイクルは昔に比べてかなり早くなっているだろう。これ以上新作を作っても、大同小異という印象しか与えないだろうと思うのは、「原典回帰」の名のもとに実はネタ切れを露呈した『のび太の恐竜』のリメイクが新作として予定されているからだ。もうこれで打ち止めにした方が有終の美を飾れるんじゃないか。
私は「藤子・F・不二雄ファン」ではあっても「『ドラえもん』ファン」では必ずしもないので、ちょっとザンコクなことを言っているかもしれないが、例えば『ルパン三世』のテレビスペシャルシリーズのように、同工異曲の作品が拡大再生産されて、作品評価自体が下落していくのを『ドラえもん』にまで見るのはちょっとツライものがあるのである。
マンガ、和田慎二『スケバン刑事』12巻(完結/メディアファクトリー)。
完全版最終巻。なんだかんだで、和田慎二の代表作はこれってことになるんだろうなあ。同時に張ってた伏線が収拾付かなくなって、ご都合主義な展開が続出、連載時無理やりまとめちゃったのを単行本化のときに何とか辻褄を合わせたという、和田慎二のストーリーテリングの雑さを露呈した作品でもある。いきなり出てきた「学生刑事No.1」とか、名前も分かんないままだもんな。
まあデビュー連載だから仕方ないと見る向きもあろうが、現在だって作劇術がたいして上達しているわけではないから、間違っても和田慎二を「稀代のストーリーテラー」とか呼んじゃいかんよな(和田慎二について書くときは必ずこの件に触れているが、メディアファクトリーに移って見返しにこう書かれるまで、和田慎二をそんなふうに認識していた人間はまずいなかったことを指摘しておきたいからである。これは「歴史の捏造」ですらあるから、明確にしておく必要があるのだ)。
実際、信楽老の「グランド・スラム作戦」にしたところで、既に政財界のドンとして君臨している彼がわざわざそんな一歩間違えば自滅しかねない作戦を計画しなければならないメリットは殆どないのである。神恭一郎と組織「猫」との関わりについてだって、最終巻でこんな取ってつけたようなページ数で簡単に書かれていいこっちゃないだろう。「説明」や「解説」ばかりでドラマが一向に盛り上がらない。それを誤魔化すために、今巻ではやたらキャラクターが死にまくる。
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07月29日(金)
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