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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■壊れていく定め/『画図百鬼夜行全画集』(鳥山石燕)
国書刊行会発行のシリーズを大枚はたいて買ってた身にしてみればチト悔しくはあるのだが、若い人がこういう「古典」に廉価で触れることができるようになっていることはうらやましいことである。
知ってる人は知ってるが、現代の妖怪ブームのルーツは江戸時代にある。水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する妖怪のスタイルがかなりの率で鳥山石燕のデザインを踏襲したものであることが、この「原典」を見れば一目瞭然であるし、京極夏彦が小説中に登場させている妖怪たちの多くがやはり石燕に拠っている。
石燕の功績は、それまで、伝説や昔話の中に「言葉」としてしか語られなかった妖怪たちに「姿」を与えたことだという。石燕の絵は実際にあちこちに引用され模写され、現代にまでこうして生き残っている。その絵の魅力を絵の専門家でもない私が語ることは難しいが、簡単に言ってしまえば、人ならず獣ならず、しかし人のようにも獣のようにも見えるそのキメラ的な姿が、人間界と異界との間を繋ぐイメージとして的確に機能したからではないだろうか。西洋画に登場するドラゴンや悪魔たちのような単純なイメージに比べると、石燕の妖怪たちははるかに個性的で親しみ深い。
例えば、石燕の描く人魂の中には、往々にして人間や鳥獣の顔が描かれる。我々はその姿に恐れを抱くがそれは即ちそこに「心」を見るからである。人間ならざるものに心があることは確かに恐ろしいが、そこには若干の親しみやユーモアもまた生まれるのだ。
石燕はその絵も面白いが、文章もまた面白い。心霊家が心霊写真を見て「これは何々の霊だ」と根拠もなく断定するいい加減さに似た面白さだ。
「人面樹」という妖怪は、花が人の首の形をして笑うのであるが、笑い過ぎて地面に落ちてしまうのである。妖怪の中で一番馬鹿なのではなかろうか。「目目連」という妖怪(破れ障子にたくさん目が現れる)などは、「碁打ちの霊だ」とか言ってるのである。それって、「碁打ちは『目』をたくさん読む」ってシャレではないの(笑)。「否哉(いやや)」などは、女の服を来ているのに顔を見たら爺さんだったので「いや〜!」と叫んで付けた名前である。そんな妖怪なら巷にゴロゴロしてると思う(苦笑)。
こんなふうに面白い妖怪を紹介していったらキリがない。あとの妖怪たちはぜひご自分の目で確かめていただきたい。
残念ながら原文のままで訳文は付されていないが、たいして難しい古文ではないので、中学生レベルの読解力で読みこなすことができるだろう。
07月28日(木)
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