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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■「演出家 鐘下辰男氏を囲んでの夕べ」/『クロザクロ』4巻(夏目義徳)
〉 この作品の主人公は、戦争のない平和な国で暮らしているにもかかわらず、日々変貌していく弟と接しながら、直に戦争を経験していく物語です。知識としての戦争を理解するドラマでではなく、経験として戦争を実感していくドラマです。
〉 こうしたドラマ性を実現できるのは演劇でしかできません。映像は結局知識でしかないからです。自分たちが普段生活している空間に、突然変貌していく人間を目の当たりにすることができる演劇だからこそ、観客は戦争を経験し、実感できるわけです。この作品の主人公が、日常生活の中で変貌していく弟を目の当たりにしながら戦争を経験し、実感したように・・・。
「児童文学」を戯曲化するときには、「手加減」をする作家も多いと思う。「子供向けだからできるだけわかりやすく簡単に」とか、いろいろ言い訳をする作家も多いが、悪く言えばそれはただ子供を馬鹿にしているだけで、「手抜き」でしかない。
しかし鐘下さんは、「子供はウソをすぐに見抜く」と断言されていた。「自分も高校時代、一番多感な時期には大人のウソにはすぐに気づいた。だから、『ウソをつかない』ことには一番気を遣って書いた」と。要するに「奇麗事は書かない」ということだろう。私自身。児童文学を専攻していた経験から鑑みて言えることなのだが、こういう基本的な創作の姿勢について「分かっていない」作家って、名前は挙げないがやたら多いのだ。児童文学が、あるいは児童演劇が、「普通の」文学や演劇に比べて一等低いもののように蔑まれてしまう原因は、一般人の無理解ばかりに原因があるのではない。創作する人間のこうした「意識の低さ」にも起因していることなのである。
鐘下さんが「信頼できる作家」である一番の理由は、まさに「子供向けだからって手を抜かない」点にあると私は感じている。
会場からの「もっとエンタテインメントな、商業演劇を作られる気はないのか?」の質問に対して、「自分はこれまでの人生で苦労をしたことがないし、これまで楽しく生きてきた。だからあえてエンタテインメントを作る必要はない」と答えておられたのが実にカッコよかった。苦労をウリモノにしたり、不幸を語ることで同情を乞おうとするヤカラは多いが、こういうところを見習ってほしいものである。私の見る限り、鐘下さんの作品は充分「エンタテインメント」なんだけどね。理屈抜きで面白いって意味で。
そのあと懇親会が設けられているというので、続けて参加。
相変わらずミーハーなことで恥ずかしい限りだが、『テアトロ』の最新号に掲載されている鐘下さんの新作、島尾敏雄原作の戯曲『死の棘』にサインをしていただく。
不躾にも(いつものことだ)いくつか質問をしたのだが、『死の棘』執筆の動機について、島尾敏雄がなぜこの小説を書いたのか、そのこと自体に興味があり、長年暖められていた企画であったとのこと。別に最近のサイコな風潮に合わせたわけではないということである。水の中に舞台が浮かんでいるような不思議な美術については、やはり能舞台を意識したとのこと。
「表現の自主規制」の問題についても、やや失礼な質問をしてしまったが、これにも明快に答えていただいた。「テレビで放送されることがあっても、自分で自分の脚本に規制をかけることは一切ありません」と。この発言が、いかに「創作する者」にとって強みになることか。分かる人には分かることであろう。
参加数は少なかったが、地元の劇団の方々とも歓談できて、なんかもう、これだけ有意義な集まりにどうしてもっと演劇人が集まらなかったかと腹立たしくなるほどであった。
11時を回ってなお、会がお開きになる様子もないので、名残惜しくはあったが先に引ける。遠慮する細川嬢を「バス停までは」と無理やり付いていって見送ったが、それは彼女から「最近、道端でAV嬢にならないかって誘われちゃったんですよ」と聞いたからだ。
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07月21日(木)
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