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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■すれ違う言葉/『不死身探偵オルロック 完全版』(G=ヒコロウ)
 全39本のスチールに加えて、仲代達矢、佐藤允、小林桂樹、寺田農、大谷直子、本田博太郎、真田広之のインタビュー記事がそれぞれ見開き2ページ、森卓也×石上三登志の対談が6ページという超ボリュームである。岡本喜八が“どういう人であったのか”ということを映画ファンを自称する人も、ちょっとくらいは感じてもらいたいものだが、本当に面白いものを探すアンテナがイカレてる若い人が増えてる現状ではそれも望み薄である。
 いや、黒澤明にも言えることだが、岡本喜八がその全盛期からいかに「理解されてこなかったか」、ということも、森×石上対談は明かしている。『独立愚連隊』が「好戦的過ぎる」という批判や、『江分利満氏の優雅な生活』『ああ爆弾』『殺人狂時代』の記録的な不入りなどについても触れる。現代では傑作と評されるこれらの作品がなぜそこまでヒットしなかったか、今では東宝の宣伝の仕方、公開の仕方に問題があったことが指摘されているが、責任は全て岡本監督に帰せられた。岡本監督が酒びたりになるのもこのころからで、これがなければ後年脳梗塞を起こすこともなく、39本と言わず40数本は傑作を世に出してくれたのではないかと思うだに、「バカ東宝が」と愚痴の一つも言いたくなる。
 森×石上対談が「勉強になる」のは、例えば日米合作映画である『EAST MEETS WEST』で、岡本監督が、カットごとに独立して撮影する自分のスタイルを捨てさせられ、アメリカ式のマスターショット(登場人物の配置・アクションを把握するためのショット。アメリカでは最終編集権がプロデューサーにあるため、監督が、画面上必要がないと判断しても無理やりこれを撮らされる)を使用させられたことなど、「なぜあの映画が失敗に終わったか」を、感想文的な印象批評ではなくて、技術的な問題として客観的に説明している点である。批評というのは「こうでなくてはならない」。
 なぜ、岡本喜八映画を「映画館の大画面で見るべきか」についても、『暗黒街の弾痕』を例に森氏は説明する。三橋達也の「早撃ち」を演出するために、岡本監督は銃を構える動作と、銃を持つ動作とをカット割りして繋いでいるのだが、これが映画館で見れば人間の目は画面上の「動体」しか見ていないから、繋がって見える。しかしテレビのブラウン管の画面ではただのつなぎにしか見えないというのである。監督が観客の動体認識を利用するつもりで演出しているものを、テレビは少しも考慮しない、ということだ。映画はレンタルビデオやDVDで見るのが主流という方は、よく「映画を見に行くのには金がかかるんだから仕方がないじゃないか」と言い訳をされるが、せめてそれが「本来の映画の鑑賞の仕方ではない」ことくらいは自覚していただきたいものである。昔からの「映画館派」の人たちは、劇場に無意味なステイタスを感じて「映画グルメ」を気取っているわけではないのである(という「常識」も最近の自称「映画ファン」は知らないのだから困る)。
 あまり岡本監督を誉めすぎると、かえって「そんなに傑作ばかり撮れるものなの?」などと逆に疑問を抱かれてしまうかもしれない。石上氏は、岡本作品は決して映画史に残る名作、といった括りで見るのでなく、あくまで日本映画がプログラム・ピクチャーとして量産されていたころの、「ものすごく面白い、上質なエンターテインメント郡」としてみるべきだと主張する。それはその通りだろうが、我々が本当に自分たちの根本的な感性や思想を無意識のうちに培っていくのは、構えて見る「名作」ではなく、そういった、「上質のエンターテインメント」からであることのほうが多いのだ。黒澤明も、岡本喜八も、決してお高く止まったゲージツ家ではなく、「面白いもの」を作りたいと思っていたのだ、ということを「映画ファン」を名乗るのなら知るべきであろうと思う。
 岡本喜八映画は、「レンタル」でも置いてあるところは少ない。というよりビデオソフト化されている作品のほうが少ない。日本映画専門チャンネルでの岡本喜八特集はぜひご覧になっていただきたいものである。
 最後に、インタビューされた方々が「一番印象的」「好きだ」と言及している岡本作品を、ご紹介しておこうと思う。もちろんご自身が出演している作品が圧倒的に多いのだが。
 仲代達矢→『殺人狂時代』(1967)

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05月02日(月)
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