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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■地震話はこのへんでオワリ/映画『ニューヨークの王様』
 なんか福岡人・博多人がいかにダメかを縷々語っているようではあるが、もちろん、回答の中には「防災用品の充実」「家具止め」「高い場所のものを低いところに置く」「タンスの側から寝所を移した」「外出前にガスの元栓を確認する」と、対策を取るようになった人もいるのである。しかし、逆に「この程度のこともしてなかったのか」と考えると、やはり福岡人はあきれた連中なんだな、と捉えることもできてしまう。どうしてそこまで安楽でいられるかと問われれば、「だって福岡の人間ってそうだから」と答えるしかない。夜郎自大というか、「根拠のない自信」が博多人の心の根底にあるのである。
 そう考えると、私は先祖代々の博多っ子ではあるが、通常の「おおまん」な博多人からはいささか“離れて”いる面がなくもない(それでも他県人から見ればかなりいい加減に見えるだろうが)。我が家でも、本の増加から高いところにも物を置かざるを得ない状況になっていたのだが、この夏に、部屋を大改造して対策を取ろうと、しげと相談していた矢先だったのだ。決して「地震なんて来るわきゃない」とのんびり構えていたわけではない。
 危急を覚えて対策を取ろうとしなかったのは、私が悲観主義的かつ運命主義的な人間で、「建物が倒壊するほどの大地震が起これば、どうせ死ぬしかない。生き残れたとしてもそれは運だ」と考えていたからである。別の意味で(人生そのものに対して)「おおまん」であったと言えようか。私よりも、もともと広島人であるはずのしげの能天気ぶりのほうが現代の博多人の気質に近いかもしれない。
 福岡人の目を覚まさせてやるためには、近いうちにもう一度デカイのが来て、それこそ万単位の人が死傷し住居をなくさなければダメじゃないかとも思うが、もちろんそんなことを本気で望んでいるわけではない。地震が来なけりゃ来ないで、福岡人の大半はいつまでも夢を見ていられるのである。そういう人たちはほっといて、せめて行政に携わってる人たちだけは起きててほしいものなんだけどねえ。


 しげも私も、体調は昨日よりは回復。
仕事帰りに博多みやげ物センターによって買い物をする程度には動き回れるようになった。けれどせっかく買った「だご汁」を作る元気はなくて、帰宅するなりしばらくは惰眠をむさぼる。明日は能を見に行くというのに、回復できるんだろうか。


 BS2で、映画『ニューヨークの王様』。
 チャップリン最後の主演作だけれども、公開当時の一般的な評価は他の作品に比べてかなり低かった。アメリカでは「反米的」と評されて(反米映画だから当然なのだが)配給拒否までされたので、酷評も当然だとは思うが、チャップリン大絶賛の日本でまで不評だったというのはどういうわけかなあとちょっと疑問に思う。アメリカのコマーシャリズム、赤狩りに対する批判が直接的過ぎて今ひとつ笑いに繋がらない、ということなのかもしれないが、日本もまた商業主義の道を歩んでいたわけで、それを揶揄されるのは気に入らなかったということもあるのだろう。
 小林信彦も「冒頭の『現代人の小さな悩みの一つに革命がある』というテロップも意味不明だ」とかなり手厳しくこき下ろしていたが、亡命した王族が共産主義者と間違われるというおよそありえない状況を描いた本作が、「民主主義」「自由主義」の名の下に行われる圧政に対する明確な批判として製作されたことは明らかなので、「革命」とは単にシャドフ王の亡命の原因となったそれだけを指しているわけではあるまい。「革命熱」は世界各国に吹き荒れ、王政を次々と廃止させていったが、その結果、人民が本当に自由になったか、そのあたりを「小さく」皮肉っているのである。もともとチャップリンが「立憲君主国」であるイギリスからの移民であったことを忘れてはなるまいし、本作はアメリカ追放後、イギリスで撮影されているのである。もちろん小林さんはそんなことは分かった上であえて「意味不明」といっていたのだろうから、よっぽど本作が嫌いだったようだ。しかし、その後のアメリカの傍若無人な歴史を考えたとき、ストレートすぎる批判も笑えないギャグも必要だったのかもしれないとも思えてくる。

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03月30日(水)
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