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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■パーセントの疑問/舞台中継『ロミオとジュリエット』(蜷川幸雄演出版)
 蜷川さんの舞台にはほぼハズレがない。演劇誌に辛辣な批評が寄せられることもあるが、それは全て「蜷川幸雄にしては低調」という、期待ほどではなかったというレベルに留まっている。つまりは常に水準以上の作品だけを作り上げてきたということだ。しかし蜷川さんの凄さは、その舞台が常に「異端」であり、既成の舞台に対して「挑戦的」であるというその事実だ。
 古典であるシェイクスピアを現代の、しかも日本で、観客にリアルに感情移入させるというのはそう簡単ではない。シェイクスピアにはもちろん現代に通じるテーマ、普遍的な要素は当然あるのだけれども、それを「翻訳」や「言葉」が阻害している面がないわけではない。
 つまり、「ロミジュリ」で言えば、「おお、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」なんて台詞を、観客を笑わせられずに役者に言わせられるものなのか。爆笑とまではいかなくても、苦笑してしまうのではないか。
蜷川さんの演出は革新的であったと思う。どうしても笑っちゃうようなシーンならば、いっそのこと笑わせてしまえばいいのである。
 舞台は世界各国の人々の顔写真が何十枚と貼り付けられ、よく見ると三段に区切られてそれぞれが場面場面での舞台となる。バルコニーのシーンはもちろん最上段をバルコニーと見立ててジュリエットはそこに、ロミオは平舞台でジュリエットを見上げるという構図になる。最初は。
 舞台装置を簡略化し、「見立て」のみで演じることは決して珍しいことではないが、シェイクスピアでそれをやることは一歩間違えればただの手抜きに見えてしまうことがある。先日見た『R&J』は、見立てたい実が殆どない凡庸な舞台に終わっていた。ところが藤原竜也と鈴木杏のそれは、この舞台を最大限利用したと言っていい。舞台を“作りこんでいない”ために、自由自在に二のは走り回り、段を駆け上りよじ登り飛び降り、躍動するのだ。まさに初恋に有頂天になり傍若無人なほどに。これが客席に「爆笑」を生む。前述の「ロミオ、ロミオ」の台詞などは切ない語らいではなく感情の破裂である。それを聞いた瞬間のロミオの身もだえ。つまりこの二人、もう完全な「バカップル」として描かれているのである。
 なるほど確かにあの二人、本質的にはそうだよなあ。これもまた「バカには勝てない」物語なのである。面白い。


 昨日の夜八時くらいから寝ていたのだが、起きたのが今日の夜の八時。しげ、新記録樹立の24時間睡眠。睡眠薬変えたせいか? でも「気分悪い」を連発していたから、あまり合ってないのかもしれない。

03月26日(土)
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