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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■愛知万博開幕/映画『カナリア』
 けれど選考委員の選評を読むだにつくづく、SFに対する見方の格差は人によって天と地ほどもあるなあと思う。「全体的に低調」「全体的に高水準」と、全く感想が逆だったりするが、どちらかが間違っているのではなく、SFについて「拠って立つ地点」が違うだけなのだ。「昔、SFというジャンルがあった」という表現も一時はやりはしたが、曲がりなりにも『SFジャパン』の刊行が続いている現状、「SF冬の時代」は過ぎて、ほんの少し春めいては来ていると思う。福井晴敏が“大”ブームを起こすくらいの勢いを示してくれればこれはもうハッキリ「春だ」と言えると思うんだれどもね。

 「メトロ書店」にも立ち寄るが、そこにも『失踪日記』はなし。入手するにはもうしばらくかかりそうである。
 横山光輝の『狼の星座』2巻を見かけて、ふと帯を見ると「1、2巻発売中」と書いてある。あれ? 2巻が出ていたのに気がつかなかったのかな? と思って、付近を探してみたがやはり2巻は見当たらない。不審に思って、店員さんに聞いてみたところ、「不適切な表現があったので、回収されました」とのこと。
 ああ、またか、と嘆いたのは私だけではあるまい。何がどう引っかかったのかは分からないが、新刊ならまだしも、かつて流通したものを再刊行しようとした途端に問題視すると言うのはそれこそ「歴史の改竄」ではないのか。しかも、この事実、新聞も雑誌も現時点では殆どのニュースが扱っていない。わずかにネット上の個人の日記などに紹介されているくらいだ。つまり明らかに「緘口令」が敷かれているのである。
 もう本作を読んだのは何十年も昔であるので、内容も細部は忘れてしまっている。どこがどう引っかかったのはよく分からないが、多分中国人に対する差別的な表現とか、そんなのであろう。しかし、そういう差別と戦う男の話なのであるから、そういう言葉が出てくるのは自然、というよりも「出さなければならないもの」である。でなければ差別がどれだけ悲惨か、その実態が分からない。それが差別のばらまきになるではないかとの主張は当たらない。だったら学校や会社で必ず同和教育とか人権学習なんてのをやってるのはどうなるのか。どんな言葉もバカにかかれば差別的に使用される。バカを想定して表現を自粛することは、結局バカを温存することにしかならないではないか。日本人はこんなバカの跳梁を許す歴史をいつまで続けていくつもりなのか。
 『狼の星座』2巻は表記を変えて再発売されるそうである。封印されなかっただけマシとは言えるが、こうなると私が持っていたオリジナル版『狼の星座』を紛失してしまったのは、返す返すも悔やみきれないことである。


 いつのまにか博多駅のゲームセンターの横に新しくできていた「A−ZONE」を覗いた後(覗いたただけですよ。コスプレやフィギュアには興味ないんで)、「シネリーブル博多駅」で、映画『カナリア』を見る。

 テロ事件を起こしたカルト教団「ニルヴァーナ」から保護された少年・岩瀬光一(石田法嗣)。初めは関西の児童相談所で妹の朝子(味野和明日架)と一緒にいたのだが、反抗的な態度が消えず、祖父の隆司(品川徹)から引き取りを拒否される。朝子を奪われた光一は、相談所を脱走し、とある廃校で運動靴とドライバーを手に入れ、妹を取り返すために祖父のいる東京に向かって走り始める。
 途中、光一は、ある男(池内万作)に手錠を掛けられ、危うい目に遭いかけていた少女・新名由希(谷村美月)を偶然助ける。光一を「ニルヴァーナの子」と見抜いた由希は、「恩返し」と称して光一とともに東京に向かって旅をすることを提案する……。

 「ニルヴァーナ」はもちろん「オウム真理教」をモデルとしているが、10年前日本中を震撼させたこの事件、若い人でもまだ記憶に残っていると思う。オタク的には、富野由悠季が彼らを「自分の子供たち」だと認識してショックを受け、長い間作品を作れなくなってしまったその原因として有名かもしれない(その程度のもんかいと否定しきれないのがオタクの怖いところである)。

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03月25日(金)
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