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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ 明日、あなたも刺されているかもしれません/『戦後最大の歌姫伝説 美空ひばり今年17回忌 今甦る愛・幻の絶唱』
同じ大阪ということで、どうしても宅間守による池田小殺傷事件を想起してしまうが、今回は犯人が少年で、被害者が教師ということだからベクトルは全く逆である。「弱者」をターゲットにした宅間守に対しては世間やマスコミの怒りは容赦がなかったが、さて今回またぞろ起きた「未成年」の犯罪に対してはやはりテレビなど表だったメディアでは「犯人に対して怒りを覚える」式の発言は聞かれない。その代わり、「警備体制はどうだったのか」という、責任を何としても学校側に求めようとする論調の方が目立っている。「下校時で正門は開いたままだった」「監視モニターの前には誰もおらず、警備員も雇っていなかった」「校長・教頭は出張でいなかった」など、「学校の不手際」「安全対策の不徹底」などが取り沙汰されているが、学校側に油断がなかったとは言わないが、これって、未成年である犯人の「責任」についての言及から問題を逸らそうとしているだけではなかろうか。
実際、いくら「警備の徹底で安全対策を」と言ったところで、限界があろう。宅間事件のときだって、ああした「乱入」事件が初めてだったわけではなし、行政や教育機関、あるいは地域が、これまでの「教訓」に基づいて何か対処ができるものかどうか、どんなに真剣に対策を取ったところで、どこかに“綻び”が生まれてしまうことは否めないと思う。
今回も、初め犯人の少年は普通の訪問者のふりをして、鴨崎さんが職員室に案内しようと背中を向けたところを刺したと言う。無害な庶民のふりをされては、身を守ることなんてそうそうできることではない。フェンスを高くしようが、警備員を雇おうが、本気で隙を突こうとする犯罪者にとってはたいした障碍にはならない。佐世保の小六少女殺害事件などは内部の犯行ではないか。
ネットなどを見てみると、犯人がゲームに熱中していたからということで、そちらに責任転嫁しようとする向きも相変わらずないではないが、さすがにこの手の馬鹿意見は「煽り」的にしか見られなくなっている。少年犯罪がこれだけ異常化し複雑怪奇なものになっている現在、たかがゲームだけに原因を求めることには無理があるし、その手の意見を口にすれば大谷某のように袋叩きに合うことが誰の目にも明らかだからだ。
その大谷某は、今回の事件に関して「それよりもそういう異常な犯人が現れないような社会環境を形成していく方が重要ではないか」という意見を述べているようであるが、一見、以前よりはマトモなことを言っているようでいて、これとても実効性を考えれば無理な注文つけてやがるなあとしか思えない。社会の基本が家庭にあるとすれば、核家族化共働きが普通で子供とろくろく顔を合わせることすらできず、教育機能が崩壊している状態で、なんの環境が整えられようか。地域だって、休日に子供を受け入れる施設や交流の場を充分に設けていないのが実情である。
今度の事件の犯人も、両親は揃っているし、兄弟もいたと言うが、それでも何の対処もできなかったのだ。たとえ社会が正常に機能していても、既知外は出る時は出る。「動機は何か」なんてことを追及したって、結局、人間の心の闇など誰に解明できるはずもなく、再発防止にはまるで直結しないことはこれまでの事件が証明しているとおりである。
「集団下校だって、危ないよなあ。手当たり次第に殺そうと思ってるやつにとっては『狙って下さい』って言ってるようなものだし」と言ったら、しげがサラリとこう言った。
「だから、誰か一人犠牲になってる間に、逃げたり通報できるから集団で行動するんだよ」
……要するに通り魔的犯罪を防ぐ手段など基本的にはないのである。そりゃ、取れる対策は全部取ったがいいに決まっているが、「絶対の再発防止」は夢想でしかない。我々は今、隣にいる人間が突然狂人と化して襲いかかってくる危険性を覚悟して生きねばならなくなっている。しかし、世も末だとは嘆くまい。昔から既知外はいくらでもいたし、そういう危険性がなかったわけではない。逆に現代、世相がこれだけ荒んでいるにも関わらず、凶悪事件を起こす子供が何万人に一人しか出ない、という見方だってできるのだ。
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02月14日(月)
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