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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■『九州発言者塾 第一回シンポジウム 日本国に自立・自尊は可能か』/ドラマ『古都』
 つか、まとまったのかどうかはよく分からないけれども、要するに「伝統の基盤は家庭にある」という論調はみなさん共通していることなのだ。

 しかしそこでやはり疑問に思うのは、これから先、どれだけ「家庭」とか「地域」に期待ができるか、ということなのである。
 ちょうどパネル討論のときに学校のセンセイとやらが、「ゆとり教育に反対している親をどう思うか」と質問していたが、そりゃあもう、バカ親だとしか言いようがあるまい。小林さんがこの質問に答えて、「知識をムリヤリ詰めこむことも大事で、学校は必要だと思う。けれど、仕事が忙しいからとかいう理由で、朝の飯も味噌汁も作ってやらないような親をわしは許さん」と仰っていた。まさしくその通りだと思う。その通りだとは思うが、小林さんがいくら「許さん」と仰ろうと、そんなバカ親ばかりがどんどん増えているのである。
 子供の「学力低下」をどうするのか、文科省が押し進めてきた「ゆとり教育」に文句をつけ、路線変更を求める声は多いが、これがつまりは「学校以外の教育機関がこの日本には存在していない」ということ、「家庭には教育能力が殆どなくなっている」ことの逆証明だってことに気付いてる親がどれだけいるのだろう。知育も徳育も、今の親は子供に対してできなくなっているのだ。その最悪な状況が、果たして一朝一夕に改善できるものだろうか。
 西部さんは、「詰めこみ教育が効果を挙げた例はギリシャの昔以来、歴史上一度もない」と断言されたが、家庭は、「ゆとり」と「詰めこみ」のどちらの教育も、知育と徳育のできない、ただの「他人どうし」がなぜか一緒にいるだけの空間に成り果てているのである。
 ウソだというのなら、子供をお持ちのご家庭の親御さん、自分に対してこう問いかけてみて頂きたい。あなたは自分の子供の勉強を何年生まで見ていられるのか。「そんなのは学校の仕事だ」と言い訳した時点であなたは負けである。昔の親は、いろはも漢字も算数も、学校があってもみんな「家庭で」教えていたのだ。教科書を読む力があれば、家庭教師を雇わなくても親が子供を教えられるはずである。
 また、子供に「ウソをついてはいけない」といつまで本気で教えていられるか。「大人はみんなウソをついているのに、どうして子供だけついちゃいけないの?」と子供から問われたときに、「うるさい」とかなんとか適当なことを言って突き放してはいないか。たとえ世の中がウソだらけでも、そんなに簡単にウソをついていいわけではないと、なぜ自信をもって言えないか。それはアナタがウソまみれの人生を送っているからではないのか。
 その程度のことにも答えられない「親」と称するただの「他人」が、「ゆとり教育」に異を唱えて人口の7割を占めているのが現状なのである。そんな国家のどこに未来があると言えよう。
 その流れを止めようというのが「ゆとり教育」の本来の目的だった。「学力低下」も当初からの予測通りで、落ちこぼれていくやつにムリヤリ勉強させて表面的な学力だけを底上げしてみせても社会で通用する「実力」のある人間は育たなかったという「現実」を踏まえて、「余裕の時間を本当に有効に使える人間を育てよう」というのが目的だったのである。だから、今「学力低下」だの何だのと騒いでるバカ親どもは、「自分の子供が余暇を有効に利用できなかった」連中ばかりで、そんなバカ親の子供は、たとえ「詰めこみ」されたって、やっぱりバカな人間にしか育たないのである。それはまさに「詰めこみ教育」されてきた今の親たちの姿そのものではないか。
 文科省も腰砕けというか、やっぱり中にいるのは「自分の子供だけは違うだろう」と楽観していたバカ親ばかりだったので、路線変更をやり出しているのである。これで、せっかく余暇を利用して自分の勉強ができるようになった子供たちの足が引っ張られることになる。この国はいったいいつまでこんな「悪平等」を続けていけば気がすむのだろうか。


 夜、上戸彩主演のドラマ『古都』を見る。

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02月05日(土)
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