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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■意見の違いはあるものだけど/マンガ『隠密剣士』(かわのいちろう)3巻ほか
 ブラッド・バード監督が「ベトナム戦争以前のアメリカ」(アメリカの正義が正義として信じられていた頃のアメリカ)にノスタルジーを感じているのは前作『アイアン・ジャイアント』で既に判明している事実。これを現在のブッシュに単純に重ね合わせることはできない。どちらかといえば、「今のアメリカはどうして昔のような『正義』を信じられなくなったのか?」と問いかけている部分の方が大きいだろう。つまり、「昔のアメリカは清く正しい「正義」を行っていたが、今の『正義』はニセモノだ」と感じているということである。バード監督に問題があるとすれば、まさにそういう「勘違い」にあるのであって、結局世の中をよくしていくものは「正義」しかないという「観念」に拘ってしまっている点だ。
 だから、「『正義』は常に為政者によって都合よく解釈されるもので、それで世の中が善くなるわけではない」「アメリカにそもそも正義なんてものがあったのか」などと批判することはできるのだが、そうであれば、これはバード監督の作品だけの問題ではなくなる。その場合、『スーパーマン』も『スパイダーマン』も全てのアメリカ製ヒーローを否定しなければ筋は通らない。それこそ『スパイキッズ』だって「アメリカの正義」を体現しているのである。翻って、日本のヒーローものだって、日本人の観念としての正義を体現しているのだから、「日本の宣伝」で、誰ぞにゴマすってることになりゃしないか。でもそんな批判の仕方は、黒澤明の『七人の侍』を「再軍備映画」と批判し、『用心棒』を「荒唐無稽なヒーローものに堕した」と批判した映画ヒョーロンカと同じく、ただの難癖である。
 私は、『Mr.インクレディブル』は、『アイアン・ジャイアント』に比べて、かなり普遍的に面白くなっていると思う。前作では、「要らなくなった兵器」であるアイアン・ジャイアントについて、「では、『兵器』はなぜ生み出されなければならなかったのか?」「『戦後』も兵器は必要ではないのか?」と監督が考えたのか、兵器の存在自体をジャイアントに「自己犠牲」させることで無批判に肯定している部分があって、それゆえに今一つ好きになれなかった。けれど、今回の『Mr.インクレディブル』では、そこに一定の「抑制」がかかっている。ヒーローたちの超能力は「諸刃の剣」であって、人を助けもするが、傷つけもする。どちらかと言うと超能力の「危険性」の方が強調されているからこそ、事件が終わったあと、彼らはまた日常に戻り、長男はかけっこでもその力を発揮させないのである。これを、口ではイラクに政権を渡すと言いつつ、実質的に占領統治を続けているブッシュと重ね合わせるのはチト無理があるのではないか。

> もっとヨーロッパ、中南米、中国、アジア映画を。韓国映画を見ることをおすすめする。創作者としての勢いがある。

 「アメリカ映画だけを見るな」というのはその通りではあるけれど、別に創作者としての勢いがあるかないかということではなくて、作品を評価するのに偏向しちゃいかんということだからね。矢玉さんの言い方だと、久米田康治が聞いたら「上に立ったモノイイ」ってからかいそうだなあ(^o^)。「日本人がなくした魂がある」的な言い方だものなあ。
 矢玉さんの作品は好きなんだけれども、こういうコリクツで映画を見てほしくはないね。ちょっとばかしガックリである。

01月15日(土)
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