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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■今年も毎月芝居が見たい/舞台『大騒動の小さな家』ほか
平治の乱のラストから始めて、義朝の遺児たちの行き先が決まるまでで1話使うというのは余りにのんびりしているけれども、にもかかわらずドラマが「濃く」なっている印象が少ない。義朝の死などダイジェスト的にしか描かれないし、ナレーションは説明的でうるさいばかり。何より、清盛に渡哲也を配し、いったん重厚に「頼朝は死罪」と言わせておきながら、それを翻意させたのが白石加世子のお徳婆さんによる「親子の情愛」についての説得だった、というのは、いささか「甘過ぎ」なのではないか。そうでなければ現代人の共感を得ないとの脚本家の判断なのだろうけれども。「甘い」というより「ぬるい」時代劇が多い中(それは映画でも同じで、『たそがれ清兵衛』も『隠し剣鬼の爪』も、悪い出来ではないのだけれど、時代劇として見るとやはりぬるいのである)、大河ドラマくらいはもう少し硬派に作って欲しいと思うのだが。
マンガ、和田慎二『スケバン刑事』(完全版)5巻。『炎の記憶』『紅椿奪回』の二編を完全収録。
第2部開始で、サキは実は生きてました、という展開。昔読んだときも「無理あるよなあ」と思ったけれど、読み返してもやっぱリ印象は変わらないな。つまんないのになんでこう何度も読み返しちゃうんだろう、と自分でも疑問に思ってたんだけど、一応これも「ミステリマンガ」だったからなんだなあ、と今になって気が付いた。いや、昔はホントにミステリマンガって少なかったんで、「ナツキは本当にサキなのか?」とか、「紅椿はいったい誰に誘拐されているのか?」とか、ミエミエの「謎」でも惹かれてたんだよねえ。……いや、本気でミステリマンガを期待する人には勧めませんとも。一応“トリックには触れないけれども”、紅椿が実は……ってんなら、「だったら最初から………かい!」とごく当然な疑問が浮かんじゃうのよ。
2代目スケバン刑事の吉村美鈴も今巻から登場だけれども、これが後のテレビシリーズの『スケバン刑事U』『V』を作る伏線になっていたのであった。ってホントかい(^_^;)。
あと、若い人への蛇足な解説、「メイキング」にある第2部の前の「コケた連載」というのは、『ピグマリオ』第1部のことね。あれも結局は隠れファンがいて熱烈なプッシュがあり(80年代の一時期、某マンガ専門誌には「『ピグマリオ』再開祈願」のファンレターがやたら載っていた)連載再開、結局は完結させたんだから、和田さん、今頃愚痴言わなくてもいいと思うなあ。
映画評論家の小森和子さんが、昨8日、呼吸不全のため死去。享年95。
この十年ほどはパーキンソン氏病を患って殆ど寝たきりの状態で、殆ど公の場には出てこなかったので、若い人には馴染みが薄いとは思うが、戦後の映画“解説”者として代表者を挙げるなら、淀川長治さん、水野晴郎さん、そして小森さんということになる。このお三方に共通している点は、テレビに出た時には決して「評論」を行わなかった、ということだろう。そして、それぞれに「決め台詞」を持っていた。その点、解説者として出演しても言っちゃ悪いが基本的に「地味」で、時にはカラクチの評論までしていた荻昌弘さんとは全くスタンスが違っていた(でも私は荻さんが一番好きだった)。
「批判される=つまらない=映画を見に行かない」「誉められる=面白い=映画を見に行く」と短絡的な思考でしか映画を見ない人が圧倒的に多い日本では、まずは自分のキャラクターを作って「売る」、そしてともかくその映画のいいところを探して誉める、という方法を取らざるを得なかったことは理解できなくはない(まあ、私も映画の感想を書いてるときにはそうしている面はある)。宣伝係である以上、提灯持ちを務めなければならない事情があっただけではないのだろうと思いはする。しかしそれにしても「恋愛」にだけスポットを当てたような小森さんの解説の仕方は、テレビを見ていて余り好ましくは感じられなかった。映画の見方が余りにも狭いのである。特に晩年、ハリウッドスターの誰々と寝た云々をやたら口にするようになってからは、その老残を晒した不気味なキャラクターの印象の方が先行するようになってしまった。
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01月09日(日)
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