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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■触んなきゃできない演技指導なんてない/『金魚屋古書店』1巻(吉崎せいむ)ほか
確かに、指導者が演技者の腹筋の様子を見るために、発声中の役者の腹やワキに触れるということはある。姿勢が悪ければ、肩や背中を押したりして矯正させることもないわけではない。しかし、それは練習着の上から行えることで、裸にする必要は全くない(それどころか裸にすれば触らなくても腹が動いてるかどうかは見て分かるってば)。別に指導者が触らなくても、腹筋の動きは役者自身が自分で手を当てて確認することができるものだし、たとえ初心者で自分の腹筋が動いているかどうかよく分からない場合であっても、オトコに触ってもらわなきゃならないものではないのだ。他の女性の劇団員に確認してもらえばよいことなのに、その「テアトルなんたら」には女性劇団員が一人もいなかったとでも言うのであろうか。姿勢の矯正の指示などは口頭で充分で、いわんや胸を触ったり足を開かせたり、なんて演技指導はありえない。
ネットでもう少し情報を調べてみると、そもそもこの劇団の存在そのものがかなり胡散臭い存在であったことが分かる。結成が2003年1月とそう昔ではないのだが、第1回公演の時点で既にトラブルを起こしている。代表世話人に迎えたある女優さんと演劇に関する方向性の違いから袂を分かっているのだが、ホームページ(現在は閉鎖)上ではその女優さんが未だに劇団に所属しているかのように写真を無断で掲載し続けていたのである。どうやら「代表世話人」という肩書きもその女優さんにとっては予想外のことで、劇団の指導も2ヶ月に1回程度、発声指導をしに行っていただけで、三村容疑者ともここ一年ほどは全く音信不通の状態だったようだ。
小さな劇団の主宰者が、劇団存続のためのハク付けとして、有名人の威を借りたくなった心情も分らないではないのだが、役者や劇団自体に実力、あるいはそれを要請しようという基盤がなければ、結局は何をどうしたところで「未来」は生まれない。客を呼ぶための努力を否定するわけではないが、自らの表現者としての意義を忘れ、劇団の存続自体を目的としてしまうのは本末転倒である。いったい「テアトルなんたら」には、演劇を通して自分たちを表現したい何があったというのだろう。劇団を隠れ蓑にワイセツ行為をしたかったただけじゃないのか。
「芸のためなら女房も泣かす」ではないが、役者、必ずしも道徳者であるとは限らない。「浮気は芸のコヤシ」というような不道徳を賞揚する感覚を残している役者は今でも決して少なくはない。具体的な人名を挙げることは避けるが、浮気事件が発覚して、マスコミに吊るし上げられた途端に堂々と開き直ってそう主張していたアノ俳優、コノ俳優を想起していただきたいのだ。だが、果たして彼らは、本気で自分の芸を磨くためにあえて不道徳に身を置いていたのだろうか? 私にはとてもそうは思えないのだが。
ハッキリ言うが、役者本人が道徳的な人間かそうでないか、そんなことと彼の演技とは何の関係もない。演技は役者の「想像」の産物である。極端な話、童貞の男が百戦錬磨のプレイボーイを、男漁りの女が処女を演じられなければ、それは到底「演技」として認められない。『藤十郎の恋』はヘタな役者の言い訳に過ぎないのだ。
そんな演技の基本も分らない役者モドキが跋扈している現実を思えば、残念ながら今回の事件が氷山の一角に過ぎない可能性も否定はできない。軽いセクハラなら、あちこちの劇団で起こっているのかもしれない。弱小劇団の主宰者が「私に逆らうと役に付けないよ」なんて言って脅迫するのは何様のつもりってなもので笑止ではあるが、本当に有名な俳優から強要されたら、断われないで泣き寝入りしてしまう例はありえることなのではなかろうか。多分、そういう連中から見れば、今回の事件も「女の子に触りたきゃフーゾクでガマンしときゃよかったのに」程度の感覚で捉えられてしまっているんじゃないかと、暗澹たる気分になる。
多くの役者が、自分の仕事をスケベエを正当化し行使するために利用しているのなら、また世間もそのように役者全体を見ているのなら、こんなに腹立たしいことはない。誓って言うが、ウチの劇団じゃこんなことは全くないぞ。女から男への逆セクハラはやたらあってるような気もするが(^_^;)。
01月06日(木)
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