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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■To be or not....../竹本泉『トランジスタにヴィーナス』7巻
『悲しみ』は今ベストセラーになってたら絶対『かなこん』とか省略されちゃうんだろうな。小説も読んだし映画も見たことは確実なんだけれども、かなり昔なんで、もうおおざっぱな筋しか覚えてない。映画は原作に忠実だったって記憶があるけれども、ホントにそうだったろうか? ファザコンな少女がヤモメな父の新恋人を事故に見せかけて殺すって話だったから、見ようによってはこれもミステリーである。今だったら特にショッキングな物語でもないけれども、当時大ヒットしたのは、それがやはり「18歳の少女」によって書かれた(しかも美少女)という事実が、話題をスキャンダラスなまでに大きくした要因だったろう。
ただ、そう言いきってしまうと、じゃあサガンは「年齢のせいだけで」売れたのかって勘違いされてしまいかねないのだが、必ずしもそうではなかったのではないかと思う。小説自体ウロオボエの私が言い切っちゃうのは多少乱暴ではあるのだが、「つまんなかった」という記憶はないので、充分内容を伴ったものだったろう、と推測しているのである。
ではサガンは綿矢りさのルーツなのかってことになるけれども、『蹴りたい背中』のように、読んではみたけど、改めて大の大人がああだこうだと語り合うにはどこか気恥ずかしく感じる雰囲気ってのはサガンにはなかった。綿矢りさは「現象」だけれども、サガンは「事件」だった。だからかつては女子学生が「サガンを片手に歩く」というのがステイタスたりえたのである。残念ながら日本の女流作家で、たとえ作品が読まれてはいても、そのような形でステイタスたりえた作家はまだいない。いったいサガンの「何が」ほかの作家たちと違っていたのだろうか。
それはヌーヴェル・バーグの雰囲気を直接的には知らない私には、これこれこうとうまく説明はできないし、個人主義がどうのこうのと、マコトシヤカなウソを並べたてる気はないのだけれど、『悲しみ』が「少女」という存在を、圧倒的な「強者」として成立させた、という点だけは間違いない事実だと思うのである。その「思想」は換骨奪胎されて、日本の「少女マンガ」にも受け継がれた。少女が主導権を握る時代を予見したということで、サガンは少女マンガ家たちの心のルーツでもあるのである。
09月26日(日)
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