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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■追加日記4/『映画に毛が3本!』(黒田硫黄)ほか
 『仮面の男』の20対4の乱闘シーンについて、「マキノ映画なら200対4とかだろうに」とサラリと書いてるけど、これが書ける人ってあまりいないんだよなあ。最近の若い映画オタクがウスくなってるからって、これくらいのセリフが吐けないようじゃ、ファン同士で、会話自体が成り立たないのである。ただ、「どのマキノ?」とかワザと聞いたりする人もいるけど、そういうのはイヤラシイのでご注意。硫黄氏のヒトコト批評「本作の教訓」は、「兄弟は仲良く。」で、これも笑えた。三銃士ものって印象があれだけ希薄な三銃士映画もなかったものなあ(マイケル・ヨーク主演の『三銃士』を見た後でコレを見ると、すげえ違和感覚えると思う)。
 ミリタリーオタクであることを公表しながら、『プライベート・ライアン』について、「何の感想も抱けない。完全に圧倒されてるから感動」とかエラい皮肉をぶちまけてくれているのも善哉(このとき、硫黄氏が杉浦しげる手をしているところもポイントね)。オタクの映画評というのはかくありたいものである。「本作の教訓」は、「本当に本当に本当に、戦争が好きなんだなスピルバーグは。」(^o^)。
 高畑勲の『ホーホケキョ となりの山田くん』を誉めてる人というのを滅多に知らないが、実は私もまた硫黄さん同様、「ケ・セラ・セラ」のシーンで泣いた口だf(^^;)(唐沢俊一さんは「高畑勲は原恵一のツメの垢を煎じて飲め」とまで言ってたなあ)。硫黄さんは本作を「これが映画だ」とまで言い切る。「これみよがしの情熱よりも、かくされた人生の秘密を見るものの心に打ちこむ」とも。それがまさしく高畑勲の描きたかったものであろう。硫黄さんの批評は正鵠を射ている。高畑勲、以って瞑すべしか。「本作の教訓」は「映画は見るまでわかんない。」見てもわかんなかった人は多いと思うけど。この映画の不幸は、「いしいひさいち原作である必要がない」という点に尽きると思う。『うる星やつら』における『ビューティフル・ドリーマー』みたいなもんか。
 硫黄さんのバランス感覚がいいな、と思うのは、『アイアン・ジャイアント』評にも現れている。ホガース少年がアイアン・ジャイアントに「君はスーパーマンになれ」と語るのを「洗脳」と断定し、「ゴーマン」と批判しながら、しかしそれがアメリカの「文化」(ご承知の通り、スーパーマンは“Truth, Justice and the American Way”のために戦っているのである)であることを認めて、我々日本人がその文化を失ってしまっていることを指摘するのだ。善悪の判断は別として、そういったアメリカの「美しさ」を評価するのは、硫黄さんが「文化」の本質を理解している証拠だろう(日本人にも文化がないとは思わないけれども、殆ど無意識化してるから、それを意識化させる作業がすごく難しいのである。一歩間違うと右翼と勘違いされるしね)。「本作の教訓」は「I Love スーパーマン」。
 硫黄さんが唯一苦しそうだったのは、『千と千尋の神隠し』。宮崎駿に『茄子』のオビを書いてもらったという恩義がある。一旦は「この面白さがわかる奴は本物だ」と看板を立てるのだけれど、それをすぐ片付ける(^o^)。でもそのあと「名前を奪われるイミがわからない」「千尋が両親についてどう思ってるのか知りたかった」「千尋がどんな子かわからないのでいまいち好きになれない」「仕事についてもっとやってほしかった」「千尋は他人の善意によっかかってるだけにも見える」と、批判が連発。結論は「イミわかんないけど面白そうに見せる」というどっちつかずなもので、硫黄さん自身も現在のコメントで「揚げ足取りでまずかった」と反省している。イミわかればつまんなくなると思うけどな(^o^)。だから批評に私情は禁物なんである。
 しげもいつの間にかこの本を読んでいたが、数ある映画批評本の中で(と言っても大して読んじゃいないだろうが)、これが一番読みやすくて納得が行くと言う。『ボウリング・フォー・コロンバイン』評で、「マイケル・ムーアがヘストンの家に銃撃被害者の写真を置いていくのは単なるいやがらせ」と書いてるのにえらく共感していた。硫黄さんもいかにも「偽善」嫌いな感じだから、そこがビビッと来るのかもしれん(^o^)。

10月05日(日)
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