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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■めんどくさいのは私も好かんけど/『少女たちの「かわいい」天皇 サブカルチャー天皇論』(大塚英志)
「天皇の戦争責任」という、「個人の地位・立場の責任」が、「制度の責任」という形にすり替えられ、「天皇不要論」の根拠として語られがちなのも(「天皇制があり続ける限り戦争の危険は去らない」とかね。天皇がいようがいまいが戦争の危険はあるって)、要するにそれだけ「天皇を排除する理由」にこと欠いており、「天皇制廃止」を実行することが困難だからだ。
熱狂的な天皇信奉者ならばともかく、一般的な感覚としては、天皇制は必要なものでもないけれども、なくしてしまう理由も特にない。「象徴天皇」という正体不明の概念を我々がすんなり受け入れたのも、こういう「何だかよく分からないもの」をその「分からない」ままに存在させ続けるのに都合がよかったからだと思う。
紀子様、雅子様の結婚に狂喜し、子供が生まれるたびに「幸せな家庭の典型」のように報道され続ける天皇家を「忌避されている」と主張するのは事実に相反するようにも見えるだろうが、じゃあ「天皇って何?」と質問して明確に答えられる人間がいないのも事実なのである。もちろん「象徴天皇」以外の答えを明確に持っている人もいるだろうが、それは決してスタンダードではない。だから前総理の「天皇を中心とした神の国」発言が問題視もされたのだ。
あの発言は、問題視もされたが、「軍国主義との絡み」で明確に批判した論調も殆ど目立たなかった。批判はあったのに、それが「天皇批判」に移行することをマスコミは極度に恐れていた。どちらかというと、あの騒動は「人がせっかくアレには触れないで過ごしてきたっていうのに、あのバカ総理、うっかり触れやがって」という意味で、右も左も一様に困ってしまって、その困った怒りをあの何も考えてない人にそのままぶつけているような雰囲気だった。実際、何が問題だったかも不明瞭かつ曖昧なまま、「で、日本は神の国だったの、そうじゃなかったの!?」という肝腎な結論は等閑になって終わっちゃいましたね。
「天皇」のこうした世間における「居心地の悪さ」というのは、簡単に言えば、自分と全く付き合いのない家族が隣に住んでるけれども、それがまるで筒井康隆の『俺に関する噂』のように、「意味もなく」ニュースで流され続けているために、何でやねんと首を捻ってる、という感じじゃなかろうか。もちろん「うるさいから出て行け」なんて言えないし、かと言って仲良くしたいわけでもないという宙ぶらりんの状態なのである。
ワールドカップの狂騒が「ぷちナショナリズム」として称賛も批判もされたが、あのファンたちの心の中にある「日本」は多分、「国家」ではない。もちろん「天皇」もいない。じゃあ何がいるかというと、「日本という名のムラ」である。
その天皇の「不在」を大塚さんはもう一度見直そう、と説く。ただしそれは「かつての天皇制の復活」を目論んでいるのではない。
「私たち個々人が自分に望むにせよ望まないにせよ帰属する行政単位としての『国家』に委託した自己の責任を自明のものとして引き受けるためには『天皇制』という政治制度をやはり断念すべきだ」と主張する。
この考え方自体を私は否定しない。先に書いた通り、「民主主義」こそがこの国のナショナリズムであるとし、その制度を本気で遵守するつもりなら、「象徴天皇制」は、たとえ「権力集中を抑止する」効果があったとしてもその理念に沿わない、というリクツは筋が通っているからだ。
けれど、何かが否定されたとき、それを正当化するために人はしばしば排除されたモノを「悪」と断ずる。たとえその排除の理由が善悪の彼我にあるものであってもだ。
大塚さんはそのことの及ぼす「危険」まで考えて意見を主張しているのだろうか。そのことがちょっと気になるのである。
09月18日(木)
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