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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■恋から自由であるということ/映画『呪怨2』
 よしひと嬢は『WXV』の公開中はちょうど仕事が忙しかったころで、全く見に行くヒマがなかったらしい。でもよしひと嬢が忙しくなかったことって、かつてあったのだろうか(^_^;)。こないだようやく手に入れた『押井守シネマトリロジー』もまだご覧になっていらっしゃらないようだけど。
 オタクの悪いクセで、映画を見ながらつい「ほら、ここが黒澤の『野良犬』」とか「ここんとこがコントラプンクト」とか解説してしまう。だいたいよしひと嬢はまだ『野良犬』を見ていないので、こんなに意地悪なことはないのである。今度ちゃんとお見せしよう。

 そのあと、四方山話、近況など。よしひと嬢とは、彼女が10代のころからの知り合いだから、もうかれこれ10ウン年になるのだが(~_~;)、昔を思うと随分オトナな話ができるようになってしまった。と言っても、「結婚はしないの?」とかその程度の話だ。
 彼女の答えはいつも決まっていて、「する気ないです」とキッパリとしたもの。これがフェミニズム的観点や男嫌いといった浅薄なものでないのが小気味いいんだよね。ここで「男なんて」なんてセリフが出てくれば一気に興醒めなんだが、よしひと嬢は絶対そんなセリフは吐かない。男性を愛する心はちゃんとあるのだが、それは極めて「契約」的なものであって、相手に頼ろうとか付いて行きたいとか尽くしたいとか、幸せになりたいとか、そんなお互いの人格を縛り合うような関係(つーか殆ど女性の方からの一方的なエゴイズム)はこれっぽっちも望んでいない。岡田斗司夫さんの言う「オンリーユー・フォーエバー症候群」に全く染まっていないのである。
 ご本人は「『好き』って感覚がわからないんですよ。それは自分の欠陥だと思うんで」と仰るが、「依存」という感覚と密接に結びついている旧来の女性の「愛」から自由だということなので、それは決して欠陥ではない。自立している女性ならば、「尽くしたい」なんて感覚が解らなくて当然なのである。自分で働いて、自分で生活して行ける人間が、なぜわざわざ「結婚」なんて自分を束縛するだけの制度に乗っかってやらなきゃならないのか?
 それじゃ、家庭が崩壊してしまうじゃないか、子孫だって残せないだろう、と反論される方もあろうが、子を自分の所有物としてしか見なせず、自分の見栄のためにええとこに進学させてええとこに就職させようとし、年老いては面倒見てもらうことを期待し依存するような家族関係ならば、崩壊したほうがマシだ。独身で何が悪いか。
 恋愛や結婚に幻想を持っていない女性は案外少ないが、よしひと嬢の場合、その珍しい例である。正直な話、男であろうと女であろうと、夢見がちな人というかピュアな方々は(^o^)話していて鬱陶しいんだよね。よしひと嬢に対しては気を遣ったり遠慮したりする必要がないものだから、私のほうも日頃言いたくても言えないことをポンポン口にしてしまう(この日記では結構好き勝手言ってるだろうと突っ込みたい方もいらっしゃるかも知れないが、実はムチャクチャ抑えて書いているのである。それに気がつかないおめでたい人も多いんだけどね)。
 どうせ曲解したいヤツは勝手に曲解するだろうからあえて言うが、私にも「恋愛感覚」なんてものはない。私は浮気をしたことは一度もないし、今後も全くする気はないが、それは私がモラリストであるからでもなければ、“通常の感覚で”しげを愛しているからでもない。しげと結婚したのはごく基本的な意味での「ボランティア」である(昔、しげとの関係を説明するのにこの言葉を使ったら、「なんてひどい!」と怒ったバカがいたが、どうやらその人は「ボランティア」という言葉をよっぽど悪い意味に捉えていたらしい。ボランティアっていけないことなんですか?)。でなきゃ、これだけケンカして、食事も作らねえ、家事もしねえヤツと、客観的にはデメリットしかないってのに、10年以上も一緒にいるわけないではないの。
 まあ、浮気なんてした日にゃあ、女におカネかけちゃった分だけDVDと本が買えなくなるからしないという理由が一番大きいのかもしれないが(^_^;)。

08月23日(土)
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