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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■私は多分ちょっと本気で怒っている/『放送禁止歌』(森達也)
 「なにか心に引っかかる」とは随分微妙な言いまわしだけれど、対象についてじゃなくて、萌えてる本人の一つタガがふっとんんじゃってる状態を表してる部分もあるんじゃないですかね、これには。いや、若いアニメファンも結構見てるけど、「萌え」なんて用語使ってる人間って、イタイ中でも最大級にイタイ人たちだけですよ、ホント。やっぱねえ、マトモな神経持ってる人間なら、たとえ仲間うちであっても他人に理解できる言葉を使いますから。
 あと、「しずかちゃん」の件ですが、原作後期の絵柄のしずちゃんとか、渡辺歩作画監督のしずちゃんならまあ萌えるってのも分からなくはないんですよ。けど、ほかのはどうなんですかね。たとえば冨永さん作画のしずちゃんじゃないと萌えない! なんてんだったら、それは確かにちょっとねえ、どういう人ですかアンタは、と言いたくなりますが。


 今日も終日雨。
 残業で帰宅はまたまた10時過ぎ。帰りが暗くなると、バスの中でも本が読めなくて本当に退屈してしまうのである。今現在、私の主要な読書時間帯は、食事中とトイレ中と入浴中とこの通勤時間帯なのだから、日の明るいうちに帰りたいものなんだが。いや、残業も1時間くらいなら文句ないんだけど、恒常的に2〜4時間ってのはあんまりだがね。
 ボーナスも今度から下げられるしなあ(額面は上がるのだが、税金が余計にかかるので実質目減りなのである。なんでこんなインケツなことしてくれるのか)。労働意欲を欠けさせることばかりどうしてするのかな。


 森達也『放送禁止歌』(光文社/知恵の森文庫・680円)。
 著者はテレビドキュメンタリーの監督である。オウム真理教事件のドキュメンタリーである『A』の監督さん、と言えば、ああ、と思いだされる方もおられようか。
 本作は、タイトルにもある通り、いったん発売されながら、放送には「不適切」とされて今や耳にする機会の失われてしまった歌謡曲について、その「放送禁止」に至った顛末をテレビ番組にした時のメイキング本である。
 岡林信康『手紙』『ヘライデ』『チューリップのアップリケ』『くそくらえ節』『がいこつの歌』、三上寛『夢は夜ひらく』、頭脳警察『世界革命戦争宣言』、丸山明宏『ヨイトマケの歌』、北島三郎『ブンガチャ節』、なぎらけんいち『悲惨な戦い』、高田渡『スキンシップ・ブルース』『自衛隊に入ろう』『生活の柄』、山平和彦『放送禁止歌』『大島節』『月経』、ザ・フォーク・クルセイダース『イムジン河』、高倉健『網走番外地(1965年版)』、泉谷しげる『戦争小唄』『黒いカバン』、赤い鳥『竹田の子守唄』……。
 さて、これらの曲を実際に聞いたことのある世代は40代以上だろう。
 私とて、遠い記憶の彼方のものが殆どで、岡林信康のものにいたっては、一曲も聞いたことがない。ただ、これらの曲が「放送禁止歌」であるという「知識」は持っていたつもりだった。その「禁止」された理由も、性的な表現や差別的な表現が引っかかったんだろう、と漫然と考えていたのである。
 問題はその「引っかかった」というのが「何に」ということである。
 多分、たいていの人が「放送コード」というものがテレビ局の内規か何かにあるものだと信じていると思う。ところが著者は、取材の過程で「そんなものはない」という事実を発見してしまうのだ。
 一応、「規制」の主体となるものとして、民放連が1959年に発足させた「要注意歌謡曲指定制度」というものはある。しかしこれはただのガイドラインに過ぎず、強制力はないばかりか、1983年に廃止されてもいるのである。更に言えば、実際に「放送禁止」されている『網走番外地』『手紙』『チューリップのアップリケ』『イムジン河』『自衛隊に入ろう』『竹田の子守唄』などはこの一覧表に全く記載されていない。また、「どこか」から「糾弾」があったという事実もない。
 要するに「放送禁止」の実態は、放送局側の「疑心暗鬼」に他ならないのだ。
 「この曲は、もしかしたら放送しちゃヤバいんじゃないか」。
 その「思いこみ」が勝手に「放送禁止歌」を作りあげていったのである。


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07月04日(金)
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