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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■アニメの実写企画って……/『ロケットマン』4巻(加藤元浩)/『はじめてわかる国語』(清水義範)ほか
えー、みなさま、納得されましたでしょうか。いや、しようがしまいが正解は「○」なんで、文句言ったって仕方がないんですけどね。でも、どうですかね、これを「×」にしたからって、論理的にモノを考えていくのに何か支障を来たすってんでしょうかね。しかもこれ、小学生用の問題なんである。こんな問題をコドモのころに解かされてたら、人間が歪まないか。
清水さんはコトバの専門家である作家である。しかも教育大卒で国語教師の免状を持っている、というオマケまでついている(^o^)。でもこれが解けない。よく言われてることだが、作家が自分の小説が問題に取り上げられて、それを自分が解いてみようとしてみたら全然解けなかった、というのは笑い話でなく事実なのである。文学の解釈なんて、百人いれば百通りあるだろう。解釈をぶつけ合って考えた結果を採点するってんならともかく、自分の解釈をいちいち他人の解釈に従わせるののどこが学問だと言うのか。
って、学問なんか学校じゃ教えてないんだよな、この国じゃ。
ほかの章の紹介もしたいとこだが、キリがないので、サワリだけ。
今回、これまでのシリーズと違って、特別ゲストが呼ばれている。あの『文章読本さん江』の著者、斎藤美奈子さんである。
清水さんとの対談の中で、斎藤さんが「国語教育はなかば道徳教育ですから」と指摘してる点、国語関係者はちったあ肝に銘じた方がよかないか。「個性教育がどうのこうの」とか言っときながら、やってることは「優等生的作文の強要」じゃないのか。
「チャップリンなんて私生活じゃロリコンオヤジじゃん」とかガクセイが書いちゃダメなんである。「ですます体」と「だである体」が一文の中に混在してちゃダメなんですのよ。「デタラメの効用」ってのをテンから認めないのだな。
もちろん、「基礎が出来てこそ、デタラメも書ける。学生のうちは基本的な、正しい文章が書けるように勉強させるべきだ」って意見もあろう。
……けど、その「正しい文章」ってのを高校生、大学生になってもずーっとずーっと、書き続けさせられてるんだよ? 自由な作文ってのはいつになったら書けるようになるのよ。
同じようなことを小学生のころから何十回も何百回も繰り返し書かされてたら、作文自体がイヤになるだろうに。
最終章の「日本語は滅んでしまうのか」で、清水さんは、滅んだりはしないが、「美しい日本語から背骨を抜くようなことはしてはいけないと思う」と書く。「すみません」を「すいませ〜」とか発音するな、と言うのだ。
ムリだよなあ、とは思うが、気持ちは分る。私もいい加減、レストランの「よろしかったですか?」攻撃には腹が据えかねているのだ。しげがちゃんと「よろしいでしょうか?」と言ってるのを聞いてるだけで、こいつは日本最高のウェイトレスだ、と思うくらいなのである。
言葉は変わる。それは仕方がない。けれど、かつての言葉がどんなものであったか、それを知ろうとしない態度は、人をただの傲慢な人間に貶めることになる。
清水さんが「歌舞伎と落語は民族の教養」と書かれているのを読んで、いつぞや岡田斗司夫さんが、「歌舞伎ファンはエリート主義に陥っている」という趣旨の意見を主張されていたのを思い出した。確かに、「若い人」の中には「こんなゲージュツを理解できる俺ってアタマいい?」とか勘違いしてるアホもいるかもしれない。……アナタね、昔の人なら、歌舞伎も落語も「庶民の誰もが楽しむ娯楽」だったんだけど、知らない?
若い人にはホントにわからないのかもしれないが、ほんの30年ほど前までは、オトナたちの日常会話の端々に、歌舞伎の、落語のセリフが頻繁に引用されていたのだ。一時期、ガンダムオタクが何かって言うと「醜いものだな」とか「坊やだからさ」とか口にしてたみたいに(エヴァ世代だったら「逃げちゃダメだ」とか「あんたバカぁ?」かな)、「知らざあ言って聞かせやしょう」だの「こいつァ一分じゃ帰られめェ」だの、口にしてたんである。
私だって、たまにこの手のセリフを使うことがあるが、こんなもん、いちいち「勉強」して覚えたわけじゃないよ。いつの間にか覚えちゃってたくらいに、世間に歌舞伎コトバ、落語コトバは氾濫していたのだ。
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01月23日(木)
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