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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■階段の怪談……f(^_^; スンマセン/『自殺』(柳美里)ほか
 浅薄な分析ではあるが、裁判時の発言にも顕著に表れている柳さんの心の歪みは、やはり子供のころの親子関係に起因しているように思う。
 親はよく、「要らない子だなんて冗談だ」とか「そう言って親ばなれさせるのも躾のうち」だとか言い訳をするが、残念ながら、ある程度ではあっても本気で「コイツ要らないな」と思わないと、親の口からこんな言葉は出ない。子供はそれくらい感づく。
 親に見捨てられた子供は確実に歪む。柳さんが歪んじゃったのも、仕方がないことかも……なんて言い方をすると、柳さんの現在の狂いぶりを弁護してるみたいだけれど、必ずしもそうじゃない。
 自殺未遂を繰り返してる人に対して言いにくいことじゃあるけどさあ、親ってものはたいてい子供を見捨てるものなのよ。だから、子供は100パーセントの確立で歪むものなんである。「オトナになりたくない」「親になりたくない」って感覚を持たない子供はいないし、自分だけが自殺をしよう、ましてや柳さんのように「世界人類が死んでしまえばいいのに」とまで思うのは、ただの自意識過剰なんである。

 中学二年のとき、柳さんは好きな同級生の「女の子」に告白をして、振られ、カミソリで手首を切って自殺を図る。
 その女の子は、柳さんのことを「あなたのその長い髪も、しゃべり方も、存在自体大嫌い」と言って拒絶したということだが、まあこの言い方も相当にヒドイけれど、中学生くらいの年頃なら、自分のことを日頃から熱く見つめる「同性」がそばにいたら、拒絶することもありえるだろう。
 「ごめんね、あなたの気持ちは嬉しいけれど、私、同性の人には興味がないの」なんて優しい言い方ができる余裕はなかろう。しかも、柳さん、そんな言い方で引き下がってくれそうな雰囲気ないし(^_^;)。

 実はもう、本書の内容をつぶさに見て行きたくないんだけど、それはなんでかって言うと、この人の喋ってることも内容も、とことん「鬱陶しい」からなのね。「怖い」と言ってもいい。
 基本的に、「生きる権利があるように、人間には死ぬ権利だってある」という主張には賛同できはする。
 けれど、柳さんの、ともすれば自殺を肯定するために粉飾を施し、自分勝手な理屈をつけ、美化しようとする語り口にはどうにもついていけない。
 私が「人が死ぬのもその人の権利」と言うのは、結局のところその人がなぜ死を選ぶのか、理由はその人自身にしか分らないと思うからだ。
 柳さんのように、「寺山修司は自我を守るために死んだ」「岸上大作はぶざまに生きることを拒否して死んだ」「円谷幸吉は誠実であろうとして死んだ」「岡真史くんは鋭い感性ゆえに死んだ」「太宰治は日常のしがらみに堪え切れずに死んだ」とやられると、「私はこんなに自殺する人の気持ちがわかるのよ」という思いあがりばかりが鼻について、「そんなに死ぬ人間の気持ちがわかるならテメエもさっさと死ねや」と暴言を吐きたくなってしまう。

 ハッキリ言うが、たとえ柳さんに何度となく自殺未遂の経験があったとしても、それでほかの自殺者の心理などわかったりはしない。絶対にわからない。
 そもそも人間に、ほかの人間の気持ちが「手に取るように」理解できるなんて思いこむ方が狂っているのである。人は、人とコミュニケーションを図るとき、結局どんなことをしてもこの人と理解しあえることはないのだ、という絶望から始めなければ、実は一歩も先に進むことはできない。理解できた、と思った時点で人間関係は終わるのである。柳さんはまさしく他人との関係を「終わらせて」いるのだ。そこにはもう柳さん一人しかいない。彼女が語っているのは自分のことだけなのである。
 こういう講演の依頼を引き受けたこと自体、柳さんの肥大化した自意識の表れだ、と見なすこともできよう。柳さんは他人のことを語っているようでいて、自分のことしか見ていない。もちろん、誰にしもそういう面はあるものだが、普通はそういう自分に気がつけば自ら一歩引くものである。

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01月16日(木)
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