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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■またまた風邪悪化/『別冊宝島Real まれに見るバカ女』/『宇宙をぼくの手の上に』(山本弘)ほか
 けど、みなさんもご承知の通り、この方が作品世界に露骨に「趣味」を持ちこんできたあたりから段々オカシクなってきたんですねー。
 呉智英さんがこの『バカ女』で指摘してる通り、「肥大化する自意識のバケモノ」になっちゃったんである。いちいち作品を挙げてくのがメンドウなんで省くけれども、なんかもー、読む小説読む小説、キャラクターどうしのヤリトリがネチネチと鬱陶しくなってきてねー、愛の言葉ささやいててもさぁ、それが相手に対してじゃなくて、作者自身に向けられてるものだってのが見えてくるのよ。「アナタを好きな私はこんなにステキ」って感じ? ……いや、もう文章は引用しません。あまりにツラすぎるから(-_-;)。とりあえず、私の言いたいことがよく分らない人は、『終わりのないラブソング』あたりでも読んでみてくださいな(実はどの作品でもいいんですが)。私はアレだけは二度と再読する気になれません(T∇T)。
 「この人はダメだ」って思っちゃった決定的なヤツが『マンガ青春記』。
 この半自伝の中で、中島さんは、自分に自信を持てない人に対して、それまで自分が何をし、何を見聞きし、何を読んできたか、全部書きだしてみよう、と言っている。そこから自分の「核」になっているものが見付け出せるだろう、ということね。
 この方法、確かに悪くはないのだ。人間のアイデンティティはつまるところ自らの「記憶」に頼るしかない。筒井康隆も、自伝を書くよう依頼された時に、自らに与えられてきた「情報」のみで綴る、ということをやっている。「ああ、私って、結構いろんなこと経験して来てるんじゃん」、と思えれば、それは確かに自信回復につながるだろう(思い出せないとかえって自信喪失は深まるが)。
 でも、そのときに大事なことは、あくまで自らを客観視して、過去の自分と今の自分を繋いでいるものが何かを判断しなきゃならないってことなんだよね。過去の自分の中に埋没してしまうと、自分に自信のなかった人ほど、反作用的に自己の全面肯定に陥ってしまう。「私ってステキ」から抜け出せなくなるのだ。中島さんはまさにその、落ちちゃいけない落し穴に落ちてしまった。
 そこから私は中島さんの本が辛くて読めなくなってしまったのだ。結局、あの人の小説は全て「私はこんなにかわいいの、かわいいの、かわいいの」ってことを手を変え品を変え語っているに過ぎない。それを延々読み続けるなど、マリー・ローランサンの絵を何十枚何百枚と見せられ続けるようなものだ。
 栗本さんがそういうスタイルで作品を書き続けることに文句をつけるつもりはない。けれど、彼女がたびたび起こしてしまう舌禍事件、これは自分自身のファンタジーの中に入りこんでしまっている人間が往々にして犯してしまう失敗の典型なのだ。呉智英さんは「覚悟なき暴論」と批判するが、そもそもファンタジーの住人に「覚悟」などはない。覚悟を持てと、あの人に要求するんですか(^_^;)。
 今さら栗本さんに何かを言ったところでどうしようもない。『グイン・サーガ』は100巻を越えても続けられるらしいが、こりゃもうね、神棚に飾って、手を触れないようにしとくしかないよね。


 ようやく手に入れた『SFJapan』6号(徳間書店・1800円)。
 今回の特集は、「翻訳の載らない翻訳SF特集」と題して、翻訳SF名作のタイトルから連想した新短編を、現代のSF作家さんたちに書かせるという趣向。

 とりあえず、SFファン必読なのは、火浦功の『火星のプリンセス』であろうか。
 と言っても、あの人が既に作家としてダメだということを確認する意味での「必読」と言うことだが。
 引用が簡単なので、全文を紹介しよう。

 『2001年宇宙の旅』火浦功
 「去年じゃん」
            おわり

 『火星のプリンセス』を書こうとあれこれ考えてるうちに〆切りが来ちゃったんで、こーゆーのを書いたそうです。
 ある意味こんなのを堂々と書けるという神経がスゴイんだが、1800円の定価のうち、30円くらいは返せと言いたい(-_-;)。

 山本弘さんの『宇宙をぼくの手の上に』、もちろんフレドリック・ブラウンの短編が元タイトルだが、ストーリーは一切原典と関係がない。

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01月13日(月)
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