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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■妊娠来たかと鸛に問えば/『今日も映画日和』(和田誠・川本三郎・瀬戸川猛資)/『ワイルダーならどうする?』(キャメロン・クロウ)
 瀬戸川さんの見識に驚いたのは、「法廷から正義が消えた」の章で、アガサ・クリスティー原作(『検察側の証人』)、ビリィ・ワイルダー監督作『情婦』のラストシーンについて触れているところ。
 私もあの映画は何度も見ていたのだが、全く気づかなかったことを指摘してくれていた。
 ……ここから先は、『情婦』を見てない人は絶対に読まないように。(V^−°)イエイ!

 最後の最後のドンデン返しのあと、レナード・ヴォール(タイロン・パワー)に裏切られたと知ったクリスチーネ・ヘルム(マレーネ・ディートリッヒ)が、レナードを“そこにたまたま置きっぱなしにされていた証拠のナイフ”で刺す。ところが、それは、やはりレナードにまんまと一杯食わされた弁護士のウィルフリッド・ロバーツ卿(チャールズ・ロートン)の「作為」であったというのだ。

 瀬戸川「ロートンが片眼鏡(モノクル)持ってたでしょ。あれでね、こう(とおなかのあたりで両手で眼鏡を動かす)やっているシーンがあるんですよ。その先にナイフがあるんだよね。ディートリッヒに、ここにナイフがあるぞ、と示してるわけ。それで、ディートリッヒはカーッときて、刺す。そういう流れになってるの」
 川本&和田「えーっ?」

 うわあ、川本さんも和田さんも気づいてなかったのか。
 私も驚いて、慌てて『情婦』のDVDを引っ張り出して見返してみた。
 すると……まさしくその通りだったんですね。( ゜.゜)……ポカーン。
 なんで今まで気がつかなかったのか。確かにロートンは「片手で」モノクルをぶら下げ、回転させている。その反射光が、机の上のナイフを照らして……って、問題はその位置だ。
 ナイフは左画面の下ギリギリのところにあって、最初、ウチのテレビのモニターでは左端画面が切れていてそれが見えなかった。普通のテレビサイズだと、ちょうど画面が切れる位置にこの光は映るのだ。それがどうしてわかったかと言うと、パソコン画面で見なおしてようやく左画面の切れない位置を確認できたというわけだ。
 川本さん和田さんは、当然初見は劇場でだろう。これは想像だが、劇場ではその光、下手の袖幕に隠れて見えず、それで川本さんも和田さんも気がつかなかったのではなかろうか。私も基本的に「映画は劇場で」と考える方だが、実のところ、この上映条件に関して言えば、画面のサイズばかりでなく、明るさ、音響等について列悪な環境の劇場は、昔から腐るほどあったのである。
 この「反射光の画面切れ」は、断じてビリー・ワイルダーのミスなどではない。これこそが「確信犯」である(『アルマゲ』賛美者は「確信犯」って言葉もこういう具合に使ってほしいものである)。
 『情婦』の制作は1958年、カラー映画が普通になり、テレビもお茶の間の寵児となっていた時代であれば、自作の「画面切れ」についてもワイルダー監督は何度も煮え湯を飲まされているはずだ。そんな状況にあって、あえてモノクロ・ヨーロピアンビスタサイズで撮影したワイルダー監督が、「画面の両端が切れることの実作での弊害」を演出してみせたと考えるのは、決して的外れではなかろう。
 瀬戸川さんは、舞台版『検察側の証人』の脚本と舞台も見て、その上で「これはクリスティーの創作ではなくワイルダーの演出である」とはっきり断言してるんである。
 ……いやね、あのジジイ、それくらいのことは絶対にするヒトなんだよ(^_^;)。そう断言できるのは、ワイルダーの映画をずっと見続けている人になら、説明は要らないだろう。そう判断できるのが本当の意味での映画を見るための「知識」というやつなんだよ。


 積読の山の中から、キャメロン・クロウ著・宮本高晴訳『ワイルダーならどうする? ビリー・ワイルダーとキャメロン・クロウの対話』を引っ張り出し、当該部分に当たってみる。
 ワイルダーはロートンの演技を絶賛してはいるが(クライマックスシーンを二十通り演じ分けてみせ、そのどれもが一つ前の演技を上回った!)、光の演出については触れられていない。ちゃんと聞いてくれよ、キャメロン・クロウ。

 この本で語られているロートンの最晩年のエピソードは、涙なしには読めない。

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01月11日(土)
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